1957年の糸満市の豊年祭こと、大綱曳きの様子。どこを向いても人だらけ。とにかく大綱曳きの人気の程が伝わってくる。
No. 0108-01
タイトル:糸満豊年祭
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 10m5s
撮影時期 : 1957年9月8日
主なロケ地 : 糸満ロータリー付近 (沖縄県糸満市糸満)
スキャン方式 : Aerial Image
フィルムには1957年とだけありますが、糸満の大綱曳きは旧暦の8月15日に行われるので、1957年9月8日であることがわかります。
日本語と英語のテロップの後に映る高台は、サンティンモウ(山巓毛)。そこから見下ろした場所がちょうど糸満ロータリーと呼ばれる交差点です。綱曳きはこの交差点と白銀堂と呼ばれる拝所の間で行われています。
映画館”新世界”
見下ろした交差点のすぐ上にみえる大きな屋根の建物が映画館の新世界です。
大綱曳きの前には、区ごとに様々な踊りが披露されます。糸満上映の時に、観客の方からその時の思い出をいろいろと聞かせていただくことができました。
当時、祭の前になると、区ごとに踊りの先生を雇い、出し物を決めて踊りを習うそうです。その時の衣装は踊り手にプレゼントされると言うことで、子供たちも喜んで踊りに参加したということです。ただ踊りの先生にもいろいろ評判があって、僕がお話を聞いた方は、子供ながらに区長の所に行って「今年は○○先生でお願いします」と直談判に行ったそうで、その思い出を楽しそうに語ってくれました。
また復帰前ということもあり、日米親善というのもアピールされています。来賓席の左端にはカーキー色の軍服を着た米軍関係者も招待されているのがわかります。
そして綱曳きが始まるころには、道路はもちろん、沿道の建物の屋根にまで人が上がり、辺りを埋め尽くしているのがわかります。中には電柱によじ登っている人も。いい大人が何をやっているのかとも思いますが、それくらい熱狂のお祭りであったと言うことでしょう。
また撮影場所の向かいにそびえ立つサンティンモウの崖の辺りにも、大勢の人が陣取っているのがわかります。人々が建っている屋根もトタンの様に見えるので、屋根をぶちやぶって落ちてしまうのではないかとハラハラさせられました。
その後、ものすごい密集状態で綱曳きが行われますが、結果はよくわからないまま終了。綱をみんなで脇に寄せて帰っていきます。帰っていく人々をパンショットで追うのですが、どこにこれだけの人が詰まっていたのかと言うくらいの勢いで大群衆が去っていくのが驚きですね。
Leave a Reply