【FILMS】本土復帰 最後のパスポート

沖縄が米国の統治下にあったころは、沖縄と日本本土を行き来するためにパスポートが必要だった。1972年5月15日の日本復帰を境にパスポートは廃止されます。この映像は復帰の直前に、パスポートを使う様子を記録した珍しい映像です。

No. 0535-00,0562-01
タイトル:本土復帰 最後のパスポート
撮影者:大城隆盛(Ryusei Oshiro)

撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 3m18s + 41s
撮影時期 : 1972年5月5日
主なロケ地 : 那覇港那覇埠頭 (沖縄県那覇市)
スキャン方式 : Frame by Frame
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主なロケ地表示(Google Map表示)
那覇港那覇埠頭

 

沖縄が復帰する前の米軍統治時代。沖縄から日本に行くためにはパスポートが必要でした。この映像は復帰の直前に、パスポートを使うところを記録しておきたいと思い立った撮影者が、友人の旅行の見送りながら撮影した貴重な記録です。

港の入口付近

2カット目に映るパンショットは、那覇港のターミナルビルの外です。画面右端に映るビルは沖縄港運株式会社のビルで、現在もほぼ同じ外観で見ることができます。

»Googleマップ(那覇港ゲート前)

▲1972年ごろの那覇港ターミナル前。右端に映るビルが沖縄港運株式会社(クリックして拡大)

沖縄港運株式会社の向かい(画面左側)は、港のメインゲートがあります。これは「南極観測船『宗谷』寄港」の最後に映る「帰っていく監修」が向かうゲートがある方向です。二つのフィルムでゲートの中と外が繋がります(時代は12年ずれてます)。

ターミナル内のようす

ターミナル内は、恐ろしく混雑しています。プラカードなども立っているので、かなりの数の団体客が集まっていると思います。普段はそうでもないにしろ、飛行機が一般的になる前の那覇港は、たびたびこういうことがあったと言うのが伝わります。

パスポート(身分証明書)

▲パスポートの中が映っています。

那覇港から見送りをする映像と言うのはいくつかありますが、たいていは紙テープを投げる岸壁の別れの映像で、このように事務手続きを丹念に撮っている映像はありませんでした。

旅客は乗船時にパスポートを係の人に渡しています。持てないくらい集まったら、意外なほど雑に足下のカゴに放り込むという工程もしっかりおさえています。チェックして船内で返すのでしょうか?ご存知の方がいたら、お話聞きたいと思います。

パスポートについては、以下のようなコラムを見つけました。

»パスポートの話|学芸員コラム|沖縄県立博物館・美術館

コラムの内容からすると、このパスポートの持ち主は、日本本土から来て、日本に帰る人たちと言うことでしょうか。それとも両方の発行したものが必要だったのでしょうか?色の違いもちょっと気になります。

▲日本政府総理府の発行

(文:真喜屋力)

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