山里医院は那覇市大道から首里に上る坂の途中に大きくそびえ立つランドマーク。その屋上からの映像です。
No. 1800-00
タイトル:山里医院の屋上から
撮影者:桃原稔(Minoru Toubaru)撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps
本編時間: 3m21s
撮影時期 : 1975年ごろ
主なロケ地 : 山里医院屋上 (沖縄県那覇市松川)
スキャン: Frame by Frame
山里医院は現在は営業していません。院長は故山里将人先生ですが、山里先生は沖繩の映画関係では有名な人物です。映画会社の株主でもあり、著作の『アンヤタサー 沖縄・戦後の映画 1945〜1955』(ニライ社)は、沖繩の興行界の歴史を綴った名著として知られています。
映像は屋上からの眺めを中心に撮影されたものだが、カメラが安定することがあまりなく、少々見づらいものがありますが、ところどころ興味深いカットがあります。
家族が盲腸になって入院したさいにお見舞いに行った時に撮影した映像ということで、撮影者の息子さんが雑誌を読んでいるのが印象的です。アップのカットをみると、どうやら少年ジャンプだと思われます。
山里医院は前述した通り、那覇市と首里を結ぶ県道29号線に面した立地です。この道路は戦前は鉄軌道のための道で、旧道は山里医院の裏側(南側)を走る細い一方通行として今も残っています(若干コースは変わっているようです)。
このパンショットで言うと右側に少し行った所には茶湯崎橋(チャナザチバシ)という橋があり、琉球王朝の時代にはこの辺りまで船が入ってきていたようです。
▲山里外科を囲むように走る県道29号線と旧道(下の一方通行)。
旧道は周囲よりもいちだん高くなっていて、一ヶ所トンネルで行き来できるようになっています。映像でも子供たちがトンネルの前に集まっている場面がズームアップされて興味深げに記録されています。
このトンネルは今もあり、
風景をよく見ていると、松川小学校も見えるが、その手前に松川医院の建物も。実は病院も現在は営業していないが建物はまだ残っている。バス停にも「松川医院前」というのが残っています。
この1970年代に営業していた個人経営の病院はどんどん廃業して久しかったりするのですが、建物は未だに空家となって残っているものが多く、時代の変化を感じます。こういった空き病院建築の中には、アーティストのアトリエやギャラリーとして利活用されているものもあるのですが、多くは廃虚のままでなんだかもったいない気がしてしまいます。
(文:真喜屋力)
凄い!素晴らしく懐かしい映像ありがとうございます!!この時は西暦何年くらいなのですかね。自分は生まれがそちらの山里産婦人科にて出生してます。その後は松川で育ち病弱だった自分は松川医院に母親とよく通い松川小学校も通いと。
とにかく、今はもう建物だらけで増えたけどまだまだ未開拓のままの映像はとても懐かしいです。ありがたいです
楽しんでいただけたら嬉しいです。おそらく70年代の中頃の映像ということです。私も今松川暮しなので、親しみが湧く映像です。