2020年の秋、沖縄アーカイブ研究所に7本のフィルムが届きました。ネットオークションで購入されたフィルムで、元の持ち主はわからなかったものの、箱には撮影者の名前と当時の住所が書かれていました。あわせてフィルムの箱には内容のメモと、撮影日が書かれていたのですが、どれも戦前のもので、単なるプライベートフィルムではすまない予感を持ったものでした。そこで私たちも急ぎデジタル化を行い内容を検証することにしました。
フィルムは全部で7本ですが、1本の中に撮影時期の違うパートが複数あった場合は、デジタル化の際に分離したので、結果として全部で10個のファイルになりました(下記リストを参照)。フィルムのIDの左4桁がリールのナンバーで、これが同一のものはもともと一本のリールに繋がっていたものです。
フィルムリスト
フィルムには戦前の札幌市内の様子から、「三国結盟」や「紀元二千六百年」の祝賀パレードなど、地域の歴史を写した公共性の高い映像もあり、またフィルムの状態もかなり良好でした。
ネットオークション経由のフィルムは著作者不明の孤児作品のため、本来はデジタル化(無断複製)もできません。というわけで検証のためにデジタル化したものの、すぐに公開することもできません。撮影者を探し出す必要があるわけです。
しかし沖縄にいてはなんの調査もできないため、北海道新聞とNHK北海道に協力してもらい、前述のメモ書きなどの手がかりから、撮影者の井須荘二さんのご長男、井須和男さんを探し出していただき、当ブログでも公開の許諾をいただくことができました。
井須荘二さんのこと
撮影者の井須荘二さん(1910-1972)は、札幌で銀行に勤めていた方で、写真や8ミリの撮影は主に戦前の趣味だったようです。
私たちがネットオークションで入手した7本のフィルム以外にも、数本のフィルムが自宅にはあったようですが、なぜかこの7本のフィルムが人手に渡り、巡り巡って沖縄まで届き、再びご家族のもとにもどったしだいです。
ご家族を探すことができたのは、フィルムの箱に書かれた名前と住所のおかげでした。8ミリフィルムの現像は、購入したフィルムの箱に名前と住所を書いて、その箱ごと購入したお店に預けるというシステムなのです。
井須さんのご家庭は札幌市内でお米などを扱う雑貨店でした。上の写真を見ると、なかなか立派な店構えのお店であったことがわかります。
成人してからは銀行に勤めていたということで、札幌の経済界とも何かしらの結びつきがあったのでしょう。開港したばかりの飛行場の式典などに、関係者として参加できる社会的な立ち位置にいたことが、このフィルム群に単なるホームムービーを超えた重要な意味を与えています。
8ミリフィルムには兄弟の出征の様子も記録されていますが、荘二さんのご長男の井須和男さんからいただいた写真には、荘二さん御本人の壮公式の写真もありました。
改めて全てのフィルムを眺めると、平和な日々から、徐々に戦争の影が近づいてくる時代と、その流れの中にいた家族の歴史が刻まれていることに気がつきます。
井須和男さんや、多くの協力により、貴重な映像資料を公開することができましたことを感謝しつつ、この家族の物語をきっかけに、多くの人々の時代の証言が聞こえてくることを期待したいと思います。まずは地元北海道の人々に見ていただけることを期待しております。
(文:真喜屋力)
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