ほのぼのとした運動会の映像ですが、「隣組(となりぐみ)」と言う言葉から、大戦前の国家体制の強化をイメージさせる不穏なイメージも重なります。
No. 1705-00
タイトル:となり組運動會
撮影者:井須荘二(Souji Isu)
提供者:外間政一郎(Seiichiro Hokama)
撮影メディア : 8mm Film/B&W/16fps
本編時間: 4m29s
撮影時期 : 1941年ごろ
主なロケ地 : 北海道 (北海道)
スキャン: Frame by Frame
隣組は1940年に明文化され、広く日本中で作られて行った組織。ウィキペディアには
隣組(となりぐみ)は、概ね第二次世界大戦下の日本において各集落に結成された官主導の銃後組織である。大政翼賛会の末端組織町内会の内部に形成され、戦争総動員体制を具体化したものの一つである。
撮影地はハッキリしていません。やはり中島公園なのでしょうか。映像の公開を期に、札幌からの証言が、コメント欄などに集まるとありがいです。
映像は、安全祈願なのか旗を掲げて人々が参拝する様子で始まります。後に旗のアップが映りますが、ややぼんやりとした映像で文字を読むことができませんでした。隣組単位で旗があったのかも知れません。
「隣組」と言っても、地域の親善行事ですから、大人から子どもまで参加する和気あいあいとしたムードが全編にあふれていて、観ていてほのぼのとしてきます。
これは戦後でも、地域の運動会映像によく見られますが、パン食い競争や借り物競争、目隠しをしての競争など、創意と工夫を凝らしたレースがおこなわれ、企画した人々が、勝負事も大事だけどエンターテインメントで心を一つにしようとした思いが伝わってきます。
地域の結びつきを強化すると言う意味では、「希薄な人間関係」と揶揄される現代に足りない物を作り出した隣組の制度。その手法のいくつかは、戦後も町内会や、自治会などに引き継がれています。
中央集権の末端組織なのか、地方自治の最先端なのか。その辺の立ち位置が、戦前と戦後では大きく入れ替わったのかも知れません。
最後にオマケですが、Youtubeにあった「隣組」の歌を埋め込んでおきます。ザ・ドリフターズが「ドリフの大爆笑」のエンディングテーマに替歌を歌っていたのでメロディーは知られている曲です。
(文:真喜屋力)
会場は円山の坂下グラウンドだと思われます。
00:04 円山の坂下グラウンド
00:10 円山公園内の円山川を渡る橋。
00:20 札幌神社(現在の北海道神宮)神門(拝殿側から)。
00:35 円山の坂下グラウンド
02:06 札幌市東北連合公区第9公区(中央区北4〜5条東1〜3丁目)の旗。
現在の連合町内会・町内会の前身で、防空避難や物資統制などの基本的な単位でもあり、市の正式な下部組織であった連合公区・公区の旗が確認できます。円山坂下グラウンドで行われたようですが、全市の行事なのか、一部地区だけの行事なのかは不明。私の祖母も若い頃に山鼻南連合公区の職員だったと聞いていたので、こう言った行事の企画運営もしていたのかな、と想像しています。