【FILMS】沖縄ボーイスカウト週間パレード

またまたボーイスカウトの活動を記録した1965年の映像。繁華街の風景があちこち映し出されます。

No. 0395-02
タイトル:沖縄ボーイスカウト週間パレード
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)

撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps
本編時間: 3m36s
撮影時期 : 1965年2月14日
主なロケ地 : 国際通りなど (沖縄県那覇市牧志牧志)
スキャン: Frame by Frame

映像を見た所、パレードは那覇市内の開南小学校に集まって、そこからスタート。現在の沖縄県庁の横の坂を下り、国際通りに入り、映っていませんが、おそらく平和通りから開南方向に抜け、那覇高校前を抜けて再び開南小学校に戻るというコースのようです。

ということで映画の冒頭の小学校は那覇市立開南小学校だと思われます。

▲パレードはまず開南小学校後庭に集合。

坂道を下るとリウボウの横を移動中の映像。何度も書いてますが、リウボウはもともと現在のパレット久茂地ビルの斜向かい。ホテルロコアナハの場所にありました。

▲開南小学校から坂を下り、リウボウの横を抜けて…

リウボウの横から、国際通りの入口を見た風景が映ります。「THE BANK OF OKINAWA」ビル(下図)が、現在の沖縄銀行本店でしょう。一行はここで右に曲がって国際通りに入って行きます。

このカットを見ると、現在みずほ銀行のあるビルはまだ建てられていません(琉球生命本社ビルは1968年完成)。フィルムの10年前に発行された「那覇市主要通り商店案内1955」を見ると、この角には「石原家具店」となっていますが、1965年当時は看板の感じから見て貴金属や、お土産を売っていそうな雰囲気です。

▲リウボウ側から見た沖縄銀行本店。

その後、映像は国際通り、平和通り等はまったく映っておらず、唐突に開南の映像になります。

撮影ポイントは那覇高校横の交差点で、そこから開南の方向を見下ろした風景となっています。

当時は開南は市場の入口として栄えていたので、お店なども多く立ち並ぶ繁華街で、看板などがひしめき合っているのがよくわかります。

また高いビルもないので、道路の向こうの丘陵がよく見えています。地図で見ると首里の金城町辺りが見えているようで、もう少しカメラを振り上げれば、琉球大学(現 首里城公園)が丘の上に見えたと思われます。

▲那覇高校の交差点から、開南方向を撮影した望遠ショット。

続いての撮影ポイントも同じ那覇高校前の交差点。やって来たパレードをを撮影しています。背後に見えるのは、別のパレードフィルム(1964年)でも映っていた「かどや」です。

» 【FILMS】沖縄ボーイスカウト 那覇市内パレード

かどやは有名な食堂でしたが、看板や店頭の様子を見ると、「果物やお菓子」など小売りをする店舗ももあったことがわかります。コカコーラのイラストがいい感じです。

▲かどや の看板と店頭の拡大画像。商品が色鮮やかに並んでいるのがわかる。

またカブスカウトの少年たちが持つ旗には「沖縄ソニー株式会社」の文字も見えます。これはカブスカウトの活動を支える賛助企業で、久茂地に会った電波堂のことです。

▲那覇高校前の交差点。旗には賛助している沖縄ソニー(電波堂)の名前が見える。

映像の最後は再び開南小学校のグラウンドに入って行く映像が映っています。校舎の向こうに建築途中の大きな建物が映っているのが見えます。

場所と時代(1965年2月)と言うことから考えると、どうやら那覇市役所庁舎(旧)ではないかと思われます。

那覇市役所の旧庁舎は、1965年9月に完成し、それまで市役所が置かれていた天妃小学校校舎から移転してきます。

ちなみに天妃小学校は戦前からありますが、市役所が置かれていたため、戦後に復活したのは1966年。沖縄アーカイブ研究所に届いた1966年の天妃小学校の運動会の映像が「第一回」と記されているのは、そのためです。続けてご覧いただくと、おもしろいかもしれません。

» 【FILMS】天妃小学校 第一回運動会 | 沖縄アーカイブ研究所

こうして別々のフィルムが、関連付けて見えてくるのがアーカイブのおもしろさでもあります。

(文:真喜屋力)

▲開南小学校に戻ってきた一行。正面の工事中の建築は那覇市役所庁舎(旧)か?

 

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