【FILMS】1962年のドライブ(2)
海水浴と北谷城跡など

北谷城跡など珍しい映像もあり。1962年に本土から来た医師の今村昌耕さんが撮影したドライブ映像の第二弾。

No. 2345-10
タイトル:1962年のドライブ(2) 海水浴と北谷城跡など
撮影者:今村昌耕(Syoukou Imamura)

撮影メディア : 8mm Film/Color/16fps
本編時間: 3m44s
撮影時期 : 1962年春
主なロケ地 : 那覇軍港、牧港など (沖縄県)
スキャン: Frame by Frame

 

海岸の風景

冒頭のパンショットを連結してパノラマにしたのが、すぐ下の画像です。撮影場所は不明。画質が粗くて詳細がよくわかりません。海の中に黒いついたてのような物が見えるのも不思議です。海岸は何か車輌のような物が止まっているようにも見えます。1962年にしては立派な建物も多く、中部の基地周辺かもしれません。

▲海岸のパノラマ(クリックで拡大)。

北谷の謝苅付近から[0:20〜]

高台からのパンショットが写されます。カットの最後に見える、こんもりとした丘は、北谷城跡だと思われます。そこから考えると、この前の海岸のカットも北谷付近の可能性は大きいと思われます。

下にフィルムの中の丘の画像と、Googleのストリートビューで探した謝苅の高台から見えた北谷城の画像を比較してみました。同じ場所ではないですが、シルエットと、背後の海岸線の形(現在は埋立ても進んでいる)が酷似しています。

▲   の映像と、googleストリートビューで 謝苅から見た北谷城跡の比較。

 

▲上の画像のパンショットを繋いだパノラマ(クリックで拡大)

海岸の駐車場 [0:34〜]

大量のアメ車が駐車している海岸のパンショット。右端にはフェンスのような物も見えて、やはり北谷近くの基地周辺にも思えます。

似た様な映像としては、北谷の海岸で行われた水上スキーショーの映像があります。

» 発電船ジャコナと水上スキーショー | 沖縄アーカイブ研究所

▲海岸近くの駐車場(クリックで拡大)

続くカットでは鳥居の形をした看板が写りますが、アメリカ人がオリエンタリズムで使いがちな意匠でもあり、やはり基地周辺の映像ではないでしょうか。またバスが走っているのも気になります。

▲鳥井をまねた看板が映っている。

那覇軍港周辺 [1:14〜]

那覇軍港が映ります。瀬長島方向から奥武山に向かう道から港を見下ろした映像、大量にバスが停っているのが気になります。単に駐車場なのか、大勢の人の移動が予定されていたのか。

バスの背後に見える横長の建物は現在もあるようで、Googleマップでも確認できます。全体の雰囲気としては大きく変化していないのが印象的です。70年代に造られたコンクリート建築よりも、それ以前の建築の方が材質が良く、長持ちすると言うのは確かです。

▲1分24秒あたりで映る独特な建築。

 

▲2025年現在のGoogleマップでも確認できる同じ建築。

やがて左から道路(那覇空港からの道)が合流し、車は奥武山運動公園に向かって進んでいます。

浦添市城間のバヤリース工場 [1:59〜]

建物の屋上に会社のロゴが描かれた、清涼飲料水バヤリースの工場が映ります。場所は浦添市城間。

▲屋根にロゴのあるバヤリース工場。浦添市城間。

この建物は、他の8ミリ「米軍ヘリからの空撮」では空撮映像が、「中城城跡散策と那覇への帰路」では逆方向から見たバヤリース工場が映っています。

» 米軍のヘリからの空撮 | 沖縄アーカイブ研究所

» 中城城跡散策と那覇への帰路 |沖縄アーカイブ研究所

 

牧港 The American Photo Service周辺

アメリカン フォト サービスの看板。現在の浦添市牧港。90年代くらいまでは、カカズカメラという名前で営業されていて、大学生の頃は8ミリのスーパー8を持ち込んでいました。

アメリカン・フォト・サービスは、沖縄の戦後記録写真の第一人者であるキーストン・スタジオのBkackei-sanがキャリアの初期に務めていた会社でもあるようです。

▲The American Photo Serviceの看板
▲パンショットをつないだパノラマ(クリックで拡大)
▲パンショットをつないだパノラマ(クリックで拡大)  右端に映るブロックが教会の外壁に酷似。

映像には看板しかないので、特定しにくいところもあるのですが、パンショットの最後(パノラマの右端)にチラリと映るブロックの編み目が、向かいの敷地にある牧港パブテスト中央教会の外壁に酷似しているので、やはり位置関係で考えても牧港で問題ないかと思われます。

» 牧港中央パブテスト教会(1961年の写真)

 

堤防付近で海水浴 [2:24〜]

この海岸の場所はよくわかっていません。水釜あたりではという説もありますが決定打はなし。情報をお待ちしております。

(文:真喜屋力)

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