【FILMS】沖縄初のプロ野球公式戦(西鉄ライオンズ VS 東映フライヤーズ)

1961年に那覇市の奥武山球場で行われた、沖縄初のプロ野球公式戦の記録映像。那覇市の市制施行40周年の記念行事でもあり、試合前のセレモニーには、当時の那覇市長、兼次佐一らしき人物も映っている。

N0. 0032-00
撮影者 : 遠藤保雄
本編時間: 4分18秒
主なロケ地 : 那覇市営奥武山球場 (沖縄県那覇市奥武山町)
撮影時期 : 1961年5月20日
撮影メディア : 8mm Film

「沖繩シリーズ」と当時の新聞でも書かれている、沖繩初のプロ野球公式戦。対戦したのは西鉄ライオンズ対東映フライヤーズ。那覇市市制40周年事業でもあったので、新聞などの事前露出ももの凄い。選手たちの市内のパレードなども行われ、華やかなイベントであったようだ。

雨は止んだが強風

試合開始前のセレモニー。選手の入場では全選手が名前の書かれたプラカードとともに登場。全員が整列したところでそれぞれが手にした風船を空に放つ。当日の試合開始時には一塁側から風速10.3m/sの風が吹いていたというが、そのことを証明するように風船が横にすっ飛んでいく様が映っている。また同時に鳩50羽も放鳥されたが、数羽が映像でも確認できる。

▲強風ですっ飛んでいく風船。

市長の始球式

試合は二日間行われているが、映像にはセレモニーの様子が映っていることから、初日の1960年5月20日であったことがわかる。白い帽子をかぶって始球式を行っているのは、当時の那覇市市長、兼次佐一であろう。

▲始球式を行う兼次佐一市長。

また当時の琉球新報には全選手の顔写真、背番号などが書かれた記事も掲載されている。そのような資料片手に、全選手を特定するのもおもしろいかもしれない。

この人も来沖!

▲応援席で目立っている名物おじさん。

日の丸の扇子を持って、一人目立ちまくっている応援のおじさんがいる。この方はおそらく内野光次さん。琉球新報(1960年5月21日夕刊)でも「日本一の西鉄ファン 久留米かすりに赤ハチマキ〜はるばる沖縄に「西鉄ライオンズ」の応援にやってきた内野光次さんと、写真付きでインタビューが掲載されている。写真を見る限り同一人物であろう。本業は蕎麦屋だが、西鉄の熱狂的なファンとして有名な、いわゆる名物おじさん。本人曰く「映画稲尾物語」にも本人役で出演しているらしい。映画はおそらく『敏腕投手稲尾物語』(東宝,1959年)のことだと思われる。この映画には、稲尾投手も本人役で登場している。

»にしてつ画像ライブラリー「鉄腕投手稲尾物語」ロケ風景(1959年)

正規の観客とヌギバイ(ただ見)の観客

映像で注目すべきは奥武山球場の近くにそびえる小さな丘を埋め尽くす人々。これはもちろんタダ見、沖縄風に言えばヌギバイの観客である。この辺のことも当時の新聞は書いている。

丘はロハ組でいっぱい
○…三塁側広報の丘はロハ組がいっぱい押しよせるのではないかと試合前から気をもませていたが、案の定学生や子供たちが鈴なり。警察では危険防止のため金網をはりめぐらせてあったが、これを飛び越える始末。警備に当たっている消防隊がいくら制止してもきくどころか、反対に石を投げてくるので手の付けようがない、仕方なく警備員も黙認、落ちないように気をつけてくださいと呼びかけていた。
(琉球新報 1961年5月21日)

▲背後の丘にはタダ見の観客。

また試合後の1961年5月23日に「まあまあづくめの沖縄シリーズ」として総括記事を載せている。「一応は成功だった〜観客は三万収支はトントン?」という見出しの記事には、野球の人気にあぐらをかいて、チケット販売の初動が遅れたたたことを付いている。そのせいで空席があったからなのかは知らないが、本土から来た関係者がコネを使って23人も無料の客を連れてきたなど、無料入場者も結構いたようだ。あとは選手への記念品やセレモニー菅家員募出費がものすごく、「ひょっとすると赤字だったのでは…」とのヨミもこぼしている。

球場の外(那覇港と政府道1号線)

▲球場から帰る人々(クリックして拡大)

 

ラストカットは球場から帰る人々の映像のパンショット。県道1号線(現 国道58号線)方向に人々が向かっている。左側の奥に那覇港が見えている。まだまだ背の高い建物は少なく、見通しの良い風景がひろがっている。

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