【FILMS】第二伊江丸と渡久地港

1960年代に撮影された渡久地港に停泊する第二伊江丸の姿。現在では伊江島航路は瀬底島の向かいにある本部港から出港しています。なぜこの映像は渡久地港なのか?今まで思いつきもしなかった疑問が、古い映像を見ることで思いついてしまう。通常記録映画は何かを説明するものですが、アマチュアの映像の場合は、だいたいが「謎かけ」なのです。そこがまたおもしろい。

N0. 0275-01
撮影者 : 屋冨祖正弘
本編時間: 1分54秒
主なロケ地 : 渡久地港 (本部町)
撮影時期 : 1960年代
撮影メディア : 8mm Film
スキャン方式 : エリアルイメージ

 

そこは本当に渡久地港なのか?

本部町は沖縄県の北部で、「沖縄海洋博祈念公園」というよりも「美ら海水族館」のある辺りと言うほうがピンと来るだろう。その本部の沖に浮かぶのが伊江島。第二伊江丸は本部と伊江島を結ぶ定期船であろう。現在は本部港からフェリーが就航している。
なぜここが本部港ではなく、渡久地港とわかるのか?それは映像を解析してみればわかります。

フィルムの冒頭に映し出される特徴的な山の稜線を、手っ取り早くGoogleマップで探して比較する。

» Googleストリートビューのリンク

Googleストリートビューのアングルは、渡久地港の上にかかっている本部大橋の上。端の上なので下には水面が横たわっている。肝心の山の稜線は、ほぼ同じ形をしている。ちなみにこの稜線はいくつかの山が重なって作られているので、見る角度によって形が変化する。ここまで同じ形をしているためには、8ミリ映像もほぼ同じ位置から見ていることになる。

本部港について

一方、現在の伊江島航路が就航している本部港は、この画像のちょうど真後ろの位置になる。そこからこの方向を見ても、間に海が見えると言うことはない。本部港も海峡を挟んで陸が見えるが、そこに見えるのは瀬底島なので風景が異なることを記しておく。

渡久地港は川の河口にあって、昔から天然の良港として栄えていた。戦前の記録映画『沖繩懸の名所古蹟の實況』でも港の風景は記録されており、赤瓦の立派な建物が建ち並んでいるのがわかります。

一方、本部港はどうであろうか?ウィキペディアによれば、本部港の開港は1972年5月15日となっている。映像は1960年代(おそらく前半)の撮影なので、その時代は伊江島航路は渡久地港から出ていたということになのだろう。ただこの日付は沖縄が日本に復帰した日なので、場合によってはこの日に日本国に登録されたということで、小さな港は元々あったのかもしれない。とは言えウィキペェディアには以下のような記述もある。

1975年(昭和50年)の沖縄国際海洋博覧会のさい、大型旅客船が接岸できる港湾として整備された。 伊江島行きのフェリーのほか、那覇港と鹿児島港を結ぶ航路の寄港地のひとつでもある(那覇港-本部港の2等運賃は路線バスの運賃よりも安い)。(「本部港」wikipedeia

という記事を読む限りでは、本部港も旅客線が停泊できるようになったのは少なくとも海洋博のころということです。と言うわけで、本映像は渡久地港と言うことで、問題ないと言うことになります。

第二伊江丸

銀色の煙突がワンポイントの第二伊江丸。過度の丸みがにこだわりのオシャレを感じます。きっと覚えている方もまだいるのではないでしょうか?

映像では全貌が映る瞬間がないので、恒例のパンショットのパノラマ化をいたしました。クリックすると拡大いたします。なにか情報があれば、お寄せください。

(文:真喜屋力)

▲パノラマ化した第二伊江丸の全貌(クリックして拡大)

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