「コザ暴動」の8ミリフィルムはありませんかと問いあわせがポチポチと来ることがありますが、残念ながらありません。コザにも8ミリは多くあったと思いますが、暴動は夜中に行われているので、光がないと映らないカメラでは難しいので、なかなかないと思われます。それでも何気ない映像の端々に、「コザ暴動」を含めた時代の空気のようなものが映り込んでいることはあります。ということでご紹介。
「コザ暴動」とは1970年12月20日の未明に、コザ(沖縄市)で起こった暴動事件のことです。始まりは米軍車両が沖縄の民間人を轢いた事故でした。この事故は軽傷ですんだようでしたが、このパターンは日米地位協定によって米国の軍属は無罪となるケースがあたりまえでした。同年の9月にも糸満市で主婦が酒気帯び運転の米国人によってひき殺され、加害者は無罪となっています。そう言った怒りはもちろん、渦巻く不信感が爆発したのがコザ暴動でした。怒りは米国軍属の車両や施設に向けられ、略奪のような事態はいっさい起こっていないと言うのが、それを示しています。
コザ暴動のアジビラ
さて8ミリ映像ですが、下のリンクの「寄宮写真館のお正月」という映像の冒頭から40秒付近をご覧ください(下の画像)。実はお正月ではなく成人式ではないかと思うのですが、それはともかく。電柱に貼られた中核派のアジビラの見出しが「コザ暴動 断固支持」と書かれています。
場所は那覇市の寄宮十字路。今は道路拡幅で様変わりしていますが、当時は写真館や時計屋などが立ち並んでいました。電柱に貼られた政治的なビラと、赤ちゃんを抱いたお父さんのほんわかした姿が対照的で、平和な日常と背中合わせにある日米地位協定などの大きな矛盾を不気味に浮き上がらせています。
国場くん轢殺事件の現場映像
さきほど地位協定による、交通事故などの不当な判決について触れましたが、1963年2月28日に起こった「国場くん轢殺事件」も大きな衝撃を与えた事件でした。。
事件の検証は以下の琉球朝日放送のレポートが地図なども載っているのでわかりやすいかと思います。
そしてその事件の半年後に撮影された現場の8mm映像が、以前アップした動画の中から発見されました。以下のリンクの動画の6分26秒あたりの映像です。
国場くん轢殺事件は、1963年2月28日に起こりましたが、沖縄アーカイブ研究所の映像は、事件のちょうど5ヶ月後の1963年7月28日に撮影されたもので、名城ビーチから帰る車の運転席から撮影されたものです。最近で言うドラレコ映像のようなものですが、これが期せずして加害者側の視点から見た事故現場と重なり、事件を検証する一つの材料になると思います。
事件は下校中なので、被害者は左から右へと渡っていたはず。これほど見通しの良い通りで信号が見えなかったとしても左側の車線(当時は車は右側通行)を超えて歩いてくる集団下校の生徒が見えなかったと言うことははありえなく、明らかに不注意運転だったことが感覚的にわかります。
事故現場が、那覇市の泉崎交叉点ということはニュースや資料で知っていいましたが、イメージするのは当時の白黒写真か、現代の風景。偶然にも残されたこういったカラー映像を、かつての証言とともに見ることで、当時を検証することができます。
(文:真喜屋力)
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