1969年7月に米軍の知花弾薬庫レッド・ハット・エリアで起こった、VXガス放出事故によって、その存在が知られた化学兵器の撤去を巡って起こった大規模な反対集会の記録。
No. 1523-01
タイトル:毒ガス撤去抗議集会
撮影者:新島義龍(Yoshitatsu Niijima)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 38s
撮影時期 : 1970年5月23日
主なロケ地 : 美里村美里中学校 (沖縄県沖縄市美里)
スキャン方式 : Frame by Frame
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沖縄市立美里中学校
映像は38秒しかありませんが、並び立つ旗など、参加者や参加団体がわかり、当時の雰囲気を伝えてくれます。
集会のきっかけは先に書いたVXガス放出事故で、米軍人24人が病院に運び込まれ、それをウォールストリートジャーナルが記事にしたことで、毒ガスの存在が公になったことに端を発しています。
ウィキペディアによるとこの事故は「弾薬庫周辺では、以前から皮膚の炎症や目の痛みを訴える人がいたり植物が枯れたりしていたが、アメリカ軍に顧みられることはなかった。」であり、突発的なものではなく、杜撰な管理体制によるものでした。
またこのような毒ガスが米国本土以外で保存されているのは沖縄だけというのも、県民の怒りを買ったようです。
これをうけて1970年5月23日に美里中学校運動場で行われたのがこの反対集会です。当時の新聞によると、集会の主催は沖縄県原水爆禁止協議会。「毒ガス撤去要求・アメリカのカンボジア侵略反対県民総決起大会」が正式名称になります。
集会は決議文採択後、事故のあった知花弾薬庫近くのゲートまで約2キロのデモを行なった。集会、デモ自体は大きな混乱もなく政善と行われたようだが、琉球新報はちょっとした混乱のやり取りを記事にしていて、それが非常に当時の雰囲気を率直に伝えてくれる。
大会はほとんどスムーズに行われたが、およそ三百五十人の琉大革マル系、同中核派系学生が激しいヤジ合戦を演じた。労働者代表として上原全軍労委員長が演壇に立つと後方に陣取った革マル系の集団から「第三波ストを回避して何が労働者代表か」などのヤジ、ついでに革マル系学生が学生を代表としてあいさつに立つと中核系学生の中から大声のヤジが飛びこれを封じようと革マル系がやじりかえすなど”くちゲバ”の熱戦を展開した。一方、あいさつの中では、特に美里村知花区の島袋虎次郎代表が「むつかしいことはわからないが、純粋な気持ちで私は訴える」と地元を代表して述べ盛んな拍手がわいた。
琉球新報 1970年5月24日
同じ目的で集りながらも一枚岩にはなれないムードだが、逆に言えばイデオロギーを超えて集るがゆえの混とんとも言え場面を報じた興味深い記事と思います。
そのご、VXガスは、1971年1月13日より移送が始まりますが、こちらは沖縄県公文書館のサイトに特集ページがあり、それに関する手書きの報告書も全ページがデジタル化され、読むことができるので、一読をお勧めいたします。
またこの毒ガス問題にインスパイアされた物語として、「ウルトラマンシリーズ」の生みの親と言われる沖縄県出身の脚本家、金城哲夫が『帰ってきたウルトラマン』で執筆した「毒ガス怪獣出現」というものもあります。
金城哲夫はこの時は円谷プロを辞めて沖縄に戻っていた時期で、この事件をストレートに肌感覚で感じていたのでしょう。ドラマでは毒ガスは旧日本軍が隠していたイエローガスという設定になっています。
(文:真喜屋力)
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