那覇市若狭の海岸線が、今よりもずっと埋め立てられていなかったころの映像です。
No. 1498-02
タイトル:若狭海岸と市営住宅
撮影者:山里景吉(Keikichi Yamazato)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 1m2s
撮影時期 : 1960年代
主なロケ地 : 若狭海岸 (沖縄県那覇市若狭)
スキャン方式 : Frame by Frame
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若狭海岸
タイトルにあらがうようで申し訳ないですが、冒頭にいきなり映る観覧車は国際通りにあったデパート「リウボウ」の屋上。加えて最後に映る窓は、リウボウ近くにある立法院のものではないかと思われます。なぜかその二つのカットに挟まれる形で、若狭海岸の映像が挿入されているという構成になっています。
沖縄の観覧車に関する興味深い記事が下記にあり、リウボウ屋上の写真も似たような位置から撮影したものが、下記サイトに掲載されていますので、見比べてみてください。
続いて映し出されるのは、若狭海岸から見た波上宮。
そこからカメラが引いていくと、イノー(沖縄の方言でサンゴ礁に囲まれた浅い海)で潮干狩りをする人々や、海水浴を楽しむ人々が映し出されます。この場所は現在は埋め立てられ、若狭海浜公園として緑地が広がっているため、このような遊びはできなくなってしまいました。
画面左側が当時の堤防が映っていますが、そこに被さるように飛び出した黒々とした影が見られます。これはおそらくユーチヌサチ跡と言われる岩で、その上に小さな御嶽があります。現在は目の前の海岸が埋め立てられていますが、突き出した岩は今も健在で、かつての海岸線を思い起こさせるランドマークにも成っています。
ユーチヌサチはもともとあった大きな岩場の先端部分です。上の毛と呼ばれるその岩は、その奥に見える波上よりは小さいサイズだったようです。場所は現在の那覇市立若狭小学校の辺り。戦後の開発でこの岩場は破壊され、その破片は周辺の埋め立てなどにも利用されたようです。こうして戦後の若狭の海岸線が作られていったわけです。
泳ぐ熱帯魚は、おそらくコバルトスズメ(ルリスズメダイ)。近所の子供たちはその青い色から、オールーと呼んでいました。さらに水上スキーを楽しむ人もいますが、ひょっとしたら波上にあった貸ボート屋から出ていたのかも知れません。
圧巻は若狭海岸の北側を撮影したパンショット(下の写真)。泊港北岸にたなびくゴミ焼却の煙(当時の名物)から、1956年に作られた若狭市営住宅までを見せきります。手前に広がるイノーの豊かさが印象的です。現在はこの上を泊大橋が通過していることと、さらなる埋め立てで流れ出た細かい土砂のために、ぜんぜん違うものになってしまいました。
若狭市営住宅は1957年にオープンした那覇市の最初の市営住宅。特殊なのは海岸に沿って四棟のアパートが建ち、それを防風壁にするかのように、背後に一戸建ての住宅が建ち並んでいました。公営住宅が一戸建てと言うのはあまり聞いたことがありません。一戸建ての建物は、外人住宅ほどではないにしろ、それぞれが一定の距離をあけて立ち並び、密集しがちな都市の住宅とは一線を画すものでした。実は僕は幼少期をこの市営住宅で暮らしていたこともあり、今後も掘り下げて調査してみたい案件であります。
と言うことで、現在は埋め立てによってイノーがほとんどなくなった那覇市の海岸も、1970年代まではこのような豊なイノーが広がっていたことを思い起こさせる、すばらしい映像だと思いました。
オマケですが、最後にこの映像の一部を、AIによる自動色付けの技術で彩色したものをご披露いたします。本物色とは多少ずれてはいるものの、海草で緑色にそまるイノーの雰囲気が往時をしのばせてくれます。
(文:真喜屋力)
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