那覇大綱挽きと言えば、国道58号線の久茂地交差点付近で行われるイメージだ。しかし、実は1977年に沖映通りで開催されたことがあった。その時の映像です。フィルムは二本のリールに分かれていたので1本にまとめてアップロードしています。
No. 0757-00/0758-00
タイトル:沖映通りの大綱挽き
撮影者:外間政一郎(Seiichiro Hokama)撮影メディア : 8mm Film
本編時間: 3m25s/3m21s
撮影時期 : 1977年10月10日
主なロケ地 : なかよし通り (沖縄県那覇市前島)
スキャン: Frame by Frame
1971年に那覇大綱挽きは復活し、那覇まつりとして、様々なイベントともに行われています。開催日の10月10日は体育の日で祝日でした。この日は沖縄戦の10・10空襲で旧那覇市が壊滅した日であり、鎮魂の祭でもありました。沖縄の大動脈である国道58号線を封鎖してでも、この祭りを開催すると言うプライオリティの置き方は単に観光イベントとしてのものではありません。ハッピーマンデー法による祝日の変動にともない、大綱挽きの開催日が変動するようになった現在でも、忘れてはいけないことでしょう。
とは言え、今回の映像が撮影された1977年は国道58号線ではなく、沖映通りで開催されていたのです。当時の沖映通りは、ダイナハ(ダイエイの那覇店。現ジュンク堂書店 那覇店)が盛況だったこともあり、今よりも数段活況を呈していたころです。
沖映通りで開催されたのはこの年だけでしょうか?
気になって新聞を調べてみたところ、実は1976年は大綱挽きそのものが開催されていませんでした。
勇壮な”旗頭”乱舞〜国際通り埋めた見物人
…那覇まつり中日の十日は午後一時から那覇のメーンストリート・国際通りで東西の旗頭行列がにぎやかに繰り広げられた。”10・10空襲”の日の十月十日は例年だと都市の再建を祝い、平和を誓う伝統の大綱挽きが行われるが、今年は会場の都合で見送られた。…
沖縄タイムス 1976年10月11日月曜日 朝
「会場の都合」とだけ書かれていますが、ひょっとしたら前年の沖縄海洋博で疲れたのか?とか、勘ぐってしまいますが、新聞にあるように、1976年の”那覇まつり”では、国際通りにおいて旗頭のパレードや芸能パレードが行われたものの大綱は登場しなかったようです。
これではいけないと思ったのか、1977年には大綱挽きが、沖映通りにおいて復活するわけです。
さらに翌年の1978年。730(ナナサンマル)の交通改正を終えた10月に、大綱挽きは再び国道58号線の久茂地交差点に戻ることになるわけです。
映像の検証
新聞によると旗頭行列は東が「壷屋小学校」、西が「沖縄開発庁・総合事務局そば」からの出発。移動コースと西の一番旗「凱歌」が見えます(「西」の小旗も見える)ので西のチームなのですが、現在の那覇大綱挽きの公式サイトを見ると、最初に映る泊町の旗頭「尚武」が現在は東チームになっています。泊は西から東へ移籍したんでしょうか?
前半(0757-00)は、前島を移動する旗頭行列を追っていきます。国道58号線の泊ふ頭入口交差点から、三越の方向に向かう前島の通りで「なかよし通り」と名付けられています。
最初は国道にほど近い、現在のパチンコ屋の脇の辺りで演舞が行われています。
現在はオリオンカフェ(Orion Cafe)になっている建物は、窓の飾り格子もそのままに形を残しています。
やがて「なかよし通り」の反対側。川に突き当たる交差点での演舞になります。一行はそこから川沿いに、現在はゆいれーるの美栄橋駅の有る交差点に向かって移動していくのが映っています。
4:59の辺りから沖映通りの映像になります。道路上に大綱が用意されていますが、やはり道のサイズに合わせたのか、若干細い綱にダウンサイズされている感じがします。中央にそびえる大きな白い建物がダイナハ(現ジュンク堂書店 那覇店)です。懐かしいのはダイナハの手前にダンキンドーナツの看板が見えるところでしょう。沖映通りの雰囲気は、あまり変化した印象はないのですが、やはり美栄橋駅周辺が一番変化しているように思います。
残念ながら、綱挽きの激闘場面は撮影されていませんが、うるくニッポン(小禄日本)放送のサイトにて、沖映通りの高良楽器店の高良博さんが撮影した写真のスライドショーが紹介されていますので、あわせてお楽しみください。
(文:真喜屋力)
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