「全島エイサーまつり」の前身となった「エイサーコンクール」の記録映像です。撮影者は写真館を経営していたプロカメラマンの屋冨祖正弘さん。客席からではなく、ステージでもあるグラウンド場から迫力のある映像を記録しています。
No. 0274-02
タイトル:エイサーコンクール(『観光沖縄』より)
撮影者:屋冨祖正弘(Masahiro Yafuso)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 8m10s
撮影時期 : 1972年,1973年、など
主なロケ地 : コザ市営球場、コザ市営陸上競技場 (沖縄県沖縄市)
スキャン方式 : Aerial Image
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主なロケ地表示(Google Map表示)
コザ市営球場 / コザ市営陸上競技場
エイサーコンクールは1956年から1976年まで開催された人気のイベントでした。1977年からはコンクールという形式をやめ、全島エイサーまつり」という名称に改変され、現在に続いています。
会場としてコザ市営球場とコザ市営陸上競技場が出てくるので、一回のロケの映像ではないです。また出演団体の名前を見ている限り、三回以上の映像が組み合わされている可能性もあります。以下のリンク先のリストなどを参考にしてください。
冒頭、いきなり映るのは「全島エイサーコンクール」の看板。タイトルの代わりに撮影したのでしょう。スポンサーは「DOUBLE COLA(ダブルコーラ)です。
つづいて球場のスコアボードが客席として使われているユニークな映像。場所はコザ市野球場です。開催は1971年まで。
この時代のエイサーを見ていておもしろいのは、衣装の変遷でしょう。現在はエイサーは基本和装、あるいは中華の影響を受けた着物。波鬼門は地下足袋やワラジなど、古式ゆかしい衣装や、そのアレンジが主流ですが、復帰のころまでは映像のような白いワイシャツ、スラックス、運動靴と言うのが定番だったようです。
物が少ない時代に簡単におそろいの衣装を揃えられると言う意味では、理にかなった衣装です。それに各地域ごとのアレンジがあって、それがまたコンクールの審査対象にもなったと思われます。
またフォークダンスのように手をつないで退場する光景や、琉米親善友の会による演舞など、時代と場所を反映した内容も気になるところです。
最後は会場がコザ市営陸上競技場(1972年以降)の映像で、屋慶名青年会の演舞が多く記録されています。撮影者も気に入ったのでしょう。縁者に迫る勢いで接近し、見上げるように迫力のある映像を捉えています。
まずは迫力のある映像をお楽しみください。
(文:真喜屋力)
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