
タイトル通り「伊江島観光」の様子。時代はおそらく海洋博直前か。
No. 0294-00
タイトル:伊江島観光
撮影者:匿名撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps
本編時間: 21m1s
主なロケ地 : (沖縄県伊江村)
スキャン: Aerial Image
何気に凝ったタイトル画面から始ります。おそらくガラスにマジックで文字を書いて、背後の風景ととも撮影したのでしょう。
今やスマホで誰でもできるタイトルの合成ですが、8ミリの時代はみんな創意工夫でオリジナルのリッチなタイトルにチャレンジしていたのです。

タイトル後はバスの中とその行程の風景が続きます。印象的なのは道路工事やダンプカーがたくさん走っていること。おそらく海洋博の前のインフラ整備だと思います。
子供心に本部半島辺りに行くと、延々と一車線が続き、ダンプカーでほこりっぽかった記憶が甦ります。
また名護の辺りでしょうか。「海洋博」の看板が映し出され、雰囲気を盛り上げる演出が伺えます。


バスを駐車場に停め、船に乗船します。
鮮明はフェリー伊江島。おそらく1973年就航のカーフェリー。伊江島と本部半島を結ぶ村営定期便の運行は1920年に始り、本船は13代目で初のフェリー。現在はさらに大型の「フェリーいえしま」が就航しています。


伊江島に着いて、まずは島のシンボル「伊江島タッチュー」で知られる城山(ぐすくやま)の姿を映し出します。急勾配を登山して、頂上で一服と言う流れです。もうこれだけでも伊江島を堪能。



気になるのは登山後に訪れる石碑。これは沖縄戦の中でも激戦地だった伊江島で亡くなった米軍の従軍カメラマンアーニー・パイルの碑です。
アーニーパイルの碑
世界的に有名な従軍記者のアーニーパイル。戦場から兵士の不安や怒り、悲しみを報道し、ピューリッツァー賞を受賞。
1945年4月伊江島の激戦を取材中、日本軍に撃たれ生涯を終えました。後に米軍の手によって碑が建てられ、毎年4月には在沖米人によって慰霊祭が行われています。
(ぐるり伊江島 | 伊江島観光協会サイトより)

彼の名前からアニー・パイル国際劇場という劇場が那覇に作られ、そこから国際通りという通りの名前が生まれ発展したことは、このブログでも何度か言及しています。
» アーニー・パイル | ウィキペディア
» 【FILMS】1950年の国際通りとマチグヮー〜ハワイからの帰省〜 | 沖縄アーカイブ研究所
(文:真喜屋力)
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