【FILMS】1950年の戦跡巡り〜ハワイからの帰省〜

1950年に撮影された戦跡巡りの映像。ひめゆりの塔の初期の形が映っている。

No. 1946-10
タイトル:1950年の戦跡巡り〜ハワイからの帰省〜
撮影者:上原亀千代(Kamechiyo Uehara)

撮影メディア : VHS/Color/16fps
本編時間: 7m22s
撮影時期 : 1950年3月ごろ
主なロケ地 : 那覇市小禄-豊見城-糸満-南城、与那原 (沖縄県南部)
スキャン: Screen Process

ハワイから一時帰省していた上原亀千代が、小禄村の親戚たちと南部一周のドライブ旅行に出かける映像。

▲トラックの荷台が客席。親戚揃って戦跡巡りへ。

かなりの大所帯での移動だが、観光バスのようなものはなく、全員トラックの荷台に乗っての移動となる。この時代はまだ公共交通機関としてもトラックを使った乗り合いバスが普通に利用されていた時代なので奇異なものではない。

トラックは小禄村を出発し、与根→白銀堂→糸満ロータリー→ひめゆりの塔→魂魄の塔→知念半島と言う風に南部一周コースを進んでいく。移動中も撮影しているが、荷台から撮った風景は、ガタガタと揺れて見づらい。乗り心地も伝わってくる。その揺れる画面から、撮影ポイントも情報収集中。わかる範囲だけでも紹介していきたい。

まず小禄村を出発したトラックは、丘の上に巨大な建造物が見える。水タンクか何かにも見えるが、シルエットがきつすぎてよくわからない。

続いて小さな橋を渡ります。橋を渡るということは川が流れているということです。

そこそこの規模の集落を抜ける。糸満の町はまだ先である。

▲かなり人が多い集落。

左側に断崖のようなものが見える。具志の方から与根に向かう下り坂(ファーストフードのJef豊見城店から南)下り坂のあたりは、海岸線まで崖が続いており、この崖を越えるとしばらく平野が続く。この後、あきらかに与根の風景が映ることから、このカットはその辺で撮影されたものと思われる。

▲左に崖が見える。
▲Googleマップより。

続いて平野の真ん中に突き出した岩が見える。これは先ほど書いた平野の真ん中に着き出した岩山。与根の三文珠辺りではないかと思われる。豊見城与根にある珠数森と呼ばれる岩山です。現在でも那覇方面から糸満に抜ける幹線道路、豊見城糸満線から同様の風景が、ビルの間からチラチラ見えます。

▲珠数森の岩山。豊見城糸満線から見た風景。

そこかからしばらくは海岸線を走るトラックバス。小さな集落を越えると一瞬だけ暗がりの中に鳥居が見えます。これは糸満の白銀堂と思われる。

▲道路沿いにチラリと見える白銀堂の鳥居。

白銀堂のすぐ後に現れる丘陵はサンティンモーと糸満ロータリー。

▲サンティンモーと糸満ロータリー。

茅葺きの屋根と石垣。小さな集落(名城あたりか?)を抜けて行くと唐突に「ひめゆりの塔」が映る。これは厳密には「ひめゆりの塔納骨堂」で1948年に建立され、1951年6月に作り直されている。

▲1950年のひめゆりの塔には、十字架が立てられていた。

ひめゆりの塔の上に十字架があったのは、米軍統治下でのキリスト教の影響だろうか。しかし、恩納村瀬良垣の青年会が建てた鳥居も映し出される。神社でもないのに鳥居を立てるのは不思議な感覚だし、十字架と鳥居の混在する風景は何とも奇妙ですが、さまざまな人が自分なりの心の通し方をした結果なのだと思います。

▲ひめゆりの塔には鳥居が建てられていた。

続いて米須の魂魄の塔に移動する。魂魄の塔が建立されたのは1946年。激戦地の骨を拾い集めて納骨されています。当時は上に穴が空いていて、そこから納骨するという構造になっているらしく、当時はまだ蓋が開いていたのだろうか。

▲魂魄の塔の上から覗き込む人々。

そして次に映る断崖絶壁は摩文仁の海岸と思われます。

摩文仁の映像の後に崖下の鳥居と十字架の慰霊碑が見える。崖下という立地から、似ているけれど「ひめゆりの塔」ではないことは明らか。ここも今は違う形になっていると思われますが、どこかわかる方いますか?

▲鳥居と十字架の慰霊碑。崖のそばなので、ひめゆりの塔ではない。

この後、ガタガタ揺れながらのドライブが続きます。海岸沿いの道を通って沖縄本島南部をぐるりと回っていると思います。

▲海岸線を回るコース。東海岸の風景が続く。

現在の南城市の風景。海岸線や、茅葺の屋根が並ぶ集落を経てトラックはどんどん進んでいきます。

 

▲茅葺き屋根の集落(現 南城市)

やがて画面右奥に中城湾方向から見た知念半島の稜線が姿を現し、トラックが沖縄本島南部をほぼ一周しかけていることがわかります。港が映るが、与那原町板良敷の港あたりだろうか?

▲奥に知念半島が見える港。

最後に映るのは畑の真ん中に立つ煙突らしきものが映る。

「0113-02 中城城跡の馬場と茅葺き屋根の集落」というフィルムの最後に出てくる煙突にも似ている。何か情報があれば、これも募集したいところです。

» 0113-02 中城城跡の馬場と茅葺き屋根の集落

文:真喜屋力

▲煙突のようなものが建っている。

 

2 Comments

  1. 崖下の鳥居と十字架の慰霊碑は、沖縄師範学校の健児の塔だと思います。
    沖縄歴史博物館のサイトのデジタルミュージアムにて、昔の健児の塔に十字架があった写真や、現在の塔の姿の古い白黒写真に、鳥居(少しわかりにくいですが)が小さく写り込んでいたのをみたことがあります。

  2. 貴重な映像を拝見し感激しました。
    ひめゆりの塔に関しては、『27度線の南から―沖縄キリスト者の証言-』(日本基督教団出版局1971年発行)に、建立の経緯が書かれている部分があります。日本基督教団糸満教会の牧師と信徒によって立てられたようです。

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