【FILMS】カジマヤー(座波部落)

糸満市座波で行われたカジマヤーの記録です。

No. 0603-02,0604-00
タイトル:カジマヤー(座波部落) No.1
撮影者:大城隆盛(Ryusei Oshiro)

撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 1m33s, 3m22s
撮影時期 : 1973年10月2日
主なロケ地 : 座波公民館前 (沖縄県糸満市座波)
スキャン方式 : Frame by Frame
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主なロケ地表示(Google Map表示)
座波公民館

 

数えで97歳になったオジー、オバーがオープンカーに乗ってパレードを行う沖縄の祭「カジマヤー」は、非常にファンキーなイメージを持っている。地域の共同体の人々みんなで長寿を祝う様は、多幸感に満ちた映像を生み出す。

» カジマヤー | ウィキペディア

 

映像の冒頭には近所の公園で遊ぶ子どもの映像が入っているが、これがカジマヤーの当時の映像なのかどうかは正直わかっていない。まあ座波と言う集落の雰囲気を味わっていただけたらと思います。

つづいて映し出されるのは石垣に囲まれたガジュマルの周りに集う人々。場所は座波公民館の前の広場。パレードが到着し、セレモニーが始まるのを待つ人々が映し出される。

▲公民館前の広場に集う人々。

 

やがて本日の主役である大城カメさんを乗せた白いオープンカーが登場。一気に人も集まり宴が繰り広げられる。オープンカーの背後には、軽トラックの二大に乗った地謡の三線太鼓がいて、生演奏とともにパレードが行われていたことがわかる。

▲主役を乗せた白いオープンカー。

この映像は1973年のものということだから、主役の大城カメさんは、単純に計算しても西暦1877年(明治10年)ごろの生れと言うことになる。アップになると手にハジチが入っていることがわかる。

ハジチは沖縄の女性が手の甲にいれた入れ墨で、ある種憧れを持って観られるものだった。しかし1899年に「ハジチ禁止令」が日本政府から出されてから、「野蛮」「未開」なイメージが持たれ嫌われるようになったと言う。明治の初期であれば、痛みをともなうハジチの施術ゆえに、大きな入れ墨をしている人は、周囲から畏敬の念をもって観られたと言う話しもある。カメさんの入れ墨はけっこう大きな模様だけに、若いころから根性の座った立派な方だったのではないかと、勝手な推測を巡らせて見たりする。

▲立派なハジチを入れた手の甲が美しい。

 

宴は一旦終り、カメさんが自宅に入っていく。集まってきた子供たちに風車(カジマヤー)が配られる。集落の中に、これだけの幼児がいると言うのも、時代を反映しているような気がします。

▲子供たちに風車が配られる。

 

あと上映会に来られた観客の方からの情報によると、映像に映っている不思議な形の屋根の二階建ての建物(下の画像)は、タバコの葉を乾燥させるための小屋だと言うお話しでした。

(文:真喜屋力)

▲不思議な形の屋根は、タバコの葉の乾燥所か?

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