8ミリ映画では珍しい宮古島の風景。撮影者が里帰りのときに記録したもので、足掛け10年で3本の帰郷フィルムがあり、島の変遷をたどることができますので、連続してアップしていきたいと思います。
No. 1464-00
タイトル:宮古島への帰郷 1971
撮影者:山里景吉(Keikichi Yamazato)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 23m42s
撮影時期 : 1971年7月
主なロケ地 : 宮古島 (宮古島市)
スキャン方式 : Frame by Frame
撮影者は1971年にこの映像を撮影。その後も1973年、1981年と、定点観測のように撮影を行っているのが興味深いシリーズ。
撮影者は宮古島から出て那覇市内で暮らしていますが、里帰りの映像は観光客と違って、”地元民”としての目線を持っていて、名所なども出てきますが、人々の生活感のある貴重な記録となっています。
さて、映像は飛行機に乗って宮古島に向かう空の旅でスタート。続いて海岸線の映像になります。2分40秒に港に接岸する輸送船と、荷揚げされた荷物が映ります。
撮影者によると、これは台風被害の支援物資ということでした。撮影者は那覇の港湾の輸送に関する仕事についていたので、まちがいない情報だと思われます。ともかく長引く台風被害により、物資不足は離島の大きな問題です。現状はだいぶよくなっているとは思われますが、そう言った記録としても興味深いです。
あわせて港湾関係は、現在では埋め立てが進んでいるので、沖縄の日本復帰直前の海岸線の記録としても、比較すると興味深いと思います。
映像は集落の中へとは言っていきます。3分30秒で、気になるのは庭で何かを洗っている女性の映像。最初は中味(豚の内臓)を洗っているのかと思いましたが、撮影者に因ると「干し大根だったような気がする」ということでした。いずれにしろ今夜は里帰りした家族を迎えてご馳走に違いないと思える量です。
その直後に映し出されるのが、家の修復をしている人々。これも撮影者に因ると台風で破損したところの修復作業と言うことです。よく見ると、窓の外にものすごい瓦礫が散らばっているのですが、これも台風の結果なのでしょうか?
路上で遊ぶ子供たちの姿も、チョクチョク映し出されます。女の子のスカート丈が気になりますが、1970年ごろはよく見られた普通の光景でしたね。あと子供が子供をあやしていると言う光景も、最近はあまり見なくなったような気がします。
また背景に食用油の赤い一斗缶がぶら下がっています。これは当時の那覇市内でもよく見られ他ものといっしょと思われます。つまり残飯などを入れておくと、翌日養豚業者がまわってきて回収していくシステム。見ただけで残飯のすえた臭いが甦る、懐かしい光景です。
この子供たちの映像の辺りは、次から次と人々の顔が映し出されます。撮影者は気心がしれているからか、そもそも人付き合いがうまいのか、魅力的なポートレートの連続となっています。被写体の人柄はもちろん、その生活スタイルなども透けて見えるようです。
5分35秒あたりには、宮古上布の製作風景が映し出されます。
撮影者の親族が、宮古上布の関係者と言うことで見学に行った時の映像と言うことです。
この中で、糸を紡いでいる場面で映るビール瓶のようなものが気になります。竹か、ガムテープのようなものが下の方にはめられていて、倒れにくいように細工されているのです。
倒れにくくしているのは、それが常にそこにある必要があるということなのでしょうか?
何がビンにまいてあるのか、その用途について知りたくなります。
と、見所が満載な映像です。フィルムの後半も、身の回りの人々が魅力的に映し出されつつ、張水神社のような、いわゆる名所も多く登場しますので、最後までゆっくりお楽しみください。
(文:真喜屋力)
▲役所の近くというので、西里の辺りであろうか?
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