『沖繩縣の名所古蹟の實況』を巡るあれこれ(2)

前回はフィルムの発見から復元までの経緯を書きました。第2回目は、時間を戻してフィルム誕生から複製映像が撮影されるまでの前日譚をまとめます。

撮影時の状況

『沖繩縣の名所古蹟の實況』は、1932(昭和七)年に撮影されました。プロデューサーの渡口政善は、沖縄の北部にある崎本部(さきもとぶ)からハワイに移民した人物です。渡口は日本映画界から、吉野二郎監督と撮影技師の鈴木京一を雇って沖縄でロケを行います。吉野二郎は日本映画草創期に活躍した映画監督で、この前年まで牧野省三の撮影所“マキノ御室”で活躍し、1931年のマキノ御室の解散後に、自らツバメ映画を立ち上げたます。本作はそういう時期に撮影されたえいがです。三人はハワイと沖縄で『執念の毒蛇』という怪談映画を撮り、その同時上映用の作品として『沖繩縣の名所古蹟の實況』を完成させます。二作には共通したカットも存在しています。

限られたスタッフ構成から察するに、両作ともに監督は吉野二郎であろうと推測されます。なにしろ吉野は早撮りで有名で、一日に二作品を撮るような人でした。もし吉野の監督作であれば、『執念の毒蛇』ともども、2002年には著作権の保護期間が満了し、パブリックドメインとなっているはずです。しかし、残念なことに『沖繩縣の~』には、スタッフのクレジットが付いていません。ゆえにパブリックドメインと断言しかねるのが現在の状況です。

初公開時の状況

翌1933年に『沖繩縣の名所古蹟の實況』と『執念の毒蛇』は、ハワイの日本館という劇場で公開されました。ハワイの日本語新聞をまとめた「新聞に見る ハワイの沖繩人90年」(比嘉武信編著)に、映画の好評ぶりが、次のような当時の新聞記事で紹介されています。

☆執念の毒蛇は封切り以来毎晩大入りで日延べ。入場料おとな四十仙、中人三十仙、子供十仙。ハレイワ、ワイパフ、ワイアナエ、カハルー、ヘエイヤでも、そして各島でも上映す。

(略)

不況の折柄にも拘らず、日本館の前は潮のごとき観客が押し寄せて、レコードを破っている。
(報知二月六日)

基本的には『執念の毒蛇』に対する評だと思いますが、同時上映の作品として『沖繩縣の名所古蹟の實況』が、多くの移民の心に響いたであろうことはまちがいないでしょう。

●そしてフィルムは沖縄へ渡る●

1962年9月17日 琉球新報 掲載の広告

戦争を挟んでしばしの沈黙の後、1962年9月21日に『沖繩縣の名所古蹟の實況』だけが沖縄で公開されます。この時代については、世良利和の論文『琉日布合作の無声映画「執念の毒蛇」をめぐって』に記されています。映画は安里三差路にあった琉映本館と、桜坂琉映館(現 桜坂劇場)の二館で公開されたこと、公開期間は1962年9月21日から27日までの一週間。さらに同時上映は『右門捕物帳 紅蜥蜴』『警視庁物語 19号埋立地』の三本立てであったことが当時の新聞広告からわかります。

世良は同年の8月に渡口が沖縄に帰郷した形跡があることから、渡口自身がフィルムを沖縄に持ち帰ったのではないかと推測します。ここでフィルムは琉映の倉庫にたどり着いたわけです。これが購入なのか、譲渡なのか、あるいは委託なのか?今となってはわからないのですが、それ以降は事実上のフィルムの所有者は琉映ということになります。

当時の琉映の映写技師であり、1998年のビデオ撮影にも立ち会った人物に聞いたところ、このフィルムのことは憶えていませんでした。ただ当時の琉映のフィルム倉庫には様々な記録映画、ニュース映像の類が保管されており、上映時間の調整などでいろいろ利用することもあったようです。そんな中で可燃性の戦前のフィルムは敬遠されがちだったとも語っていて、そのこともこのフィルムが忘れられた一因かもしれません。

『執念の毒蛇』

一方『執念の毒蛇』は1965年9月30日に、金城清一なる人物の興行で公開されます。会場は映画館ではなく那覇市の西武門会館でした。この時の同時上映は金城哲夫監督による沖縄映画『吉屋チルー物語』。現代の映画ファンには夢のカップリングですが、沖繩芝居が廃れ、カラー大画面のスター作品が花形の時代に、モノクロサイレントの沖縄時代劇映画は、たいした話題にもならなかったようです。

しかし、その後『執念の毒蛇』は、1988年に琉球新報ホールで活弁付き上映が催されるど、ノスタルジックな作品として存在感を得て人々の記憶に焼き付けられていきます。2004年には山形国際映画祭でも上映されています。フィルムそのものは、一旦は沖縄県公文書館に持ち込まれましたが、現在は沖縄県立博物館美術館の美術館に収蔵されています。吉野二郎監督の著作権保護期間の満了をもって4Kデジタル化が進められています。

1998年の発見

そして問題の1998年。桜坂シネコン琉映の若い映写技師が、正体不明のまま『沖繩縣の名所古蹟の實況』のフィルムを発見。状態が悪い上に、可燃性のフィルムであることから、おそらく廃棄するつもりだったのでしょう。知人のフリージャーナリスト、土江真樹子にフィルムを渡します。土江は琉球朝日放送(QAB)にフィルムを持ち込み、沖縄県公文書館のスタッフにクリーニングと修復を依頼。修復を経たフィルムは、再び琉映の映写機にかかり、放送用のベータカムテープに収録されることになります。ただし、やはり可燃性と言うこともあり、フィルムが乱れると上映を中断し、巻き戻すことなく先に進めると言うアバウトな上映にだったようです。テレビ局側も、報道で流せる映像が十数秒あれば問題ないので、ザックリとした収録で、保存のための記録というものではありませんでした。ちなみに収録テープには1998年5月の放送に使用予定と言うことが書かれていたので、撮影はそのちょっと前くらいでしょう。

その後フィルムはしばらくQAB内で保管。フィルムを預かった土江の記憶では、ニュースで紹介されて数日はデスクの横に置かれていたそうです。沖縄県公文書館に寄贈しようかと考えていた矢先に、琉映からの返還要請があり、フィルムは再び琉映の倉庫に戻ります。そこからフィルムは、いつのまにか沖縄テレビ放送(OTV)に持ち込まれ、同様な調子で撮影されました。どうやら琉映は、この映画を話題にしてイベント的な上映も考えていたようです。

フィルムセンターとのニアミス

フィルムの調査を始めたばかりの昨年暮れ、たまたま読んだ『映画という《物体X》~フィルム・アーカイブの眼で見た映画』(岡田秀則著)に、東京国立近代美術館フィルムセンター研究員の著者が、1998年10月に琉映の倉庫を調査したエピソードが書かれているのを発見しました。本の発行日は僕がフィルムのことを知る一週間ほど前でした。偶然というか、シンクロニシティというのでしょうか。世の中、おもしろくなるようにできています。

その本によると、岡田を招いたのは、琉映の株主である映画研究家の山里将人。タイミング的に考えると、山里は戦前のフィルム発見の報を直接、あるいは報道で知り、この調査を思いついたのではないでしょうか。しかし、岡田の調査では、『沖繩縣の名所古蹟の實況』に対面することはありませんでした。琉映は意図的にフィルムセンターに渡さなかったということになります。おそらく琉映はこの映画の再上映を本気で検討していたのかも知れません。しかし結果的には上映にはいたらず、沖縄県公文書館にも、フィルムセンターにも、フィルムは収蔵されることなく、琉映の倉庫で急激劣化への道を転がり落ちていくのです。

再び持ち主の交代

2005年、琉映は映画事業からの撤退を発表。桜坂シネコン琉映(旧桜坂琉映館)は同年閉館するも、株式会社クランクに貸し出され「桜坂劇場」として生まれ変わります。その際に倉庫に眠るフィルムも株式会社クランクに譲渡され、現在に至ります。しかし譲渡されたフィルムの大半は、その時点で赤化し酢酸臭を放つほどに劣化したジャンクフィルム手前のものばかりであり、作品目録なんて気の利いたものも存在しなかったため、誰もそのような貴重なフィルムの存在に気がつきませんでした。実は2005~2010年の間、僕は桜坂劇場の番組を担当していました。言い訳にしかなりませんが、膨大な新作を上映することが優先で、権利の怪しいフィルムを、当てもなく再調査をする余裕は正直ありませんでした。

フィルム発見時の状況

さらに言えば、発見時の『沖繩縣の名所古蹟の實況』の保管状態は特別悪かった。発見時の状態で言えば、フィルムは金属の缶に密封された状態で、コンビニのビニール袋に包まれ、人目につかない古びたロッカーに収められていました。高温多湿の倉庫に、密閉状態となったフィルムは急激な劣化を招きます。実際に他のどのフィルムよりも激しい劣化を起す結果になり、最終的に2016年の発見は手遅れとなりました。

復元から公開へ

偶然とすれ違い、環境の変化を乗り越えて『沖繩縣の名所古蹟の實況』は現在に至ります。原版フィルムを失ってしまったものの、今となってはビデオが二回に分けて収録されていたのは幸運でした。二つを補完しあうことで、ともかく映画は甦ることができたわけです。ただ我々のプロジェクトの到達点は、復元ではなく公開にあります。それもパブリックドメインでの公開です。これは桜坂劇場時代に、このフィルムに気がつかなかった負い目を持つ僕にとっては、個人的に大きな意味があります。まあ責任と言うほど重いものではありませんが、ある意味、挽回のチャンスが来たというか、因縁の対決とでもいうのでしょうか。

(文 真喜屋力)

参考文献:
「琉日布合作映画「執念の毒蛇」をめぐって」(世良利和 著)
「新聞に見る ハワイの沖繩人90年」(比嘉武信 編著)
「映画という《物体X》~フィルム・アーカイブの眼で見た映画」(岡田秀則 著)

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