首里高校近くにある一中健児之塔の映像。映っている学生像は、かつてニシムイの画家、彫刻家である玉那覇正吉の手によるものでした。現在は作り直され、石像に代わっています。また一中健児之塔全体が今はリニューアルされています。作られた当時の面影を残すカラー映像から、戦争が生々しい記憶であったころの気分の様なものを、観る人に感じ取っていただけたら幸いです。
No. 0113-03
タイトル:一中健児の塔 玉那覇正吉の作品
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 1m17s
撮影時期 : 1950年代
主なロケ地 : 一中健児の塔 (沖縄県那覇市首里金城町)
スキャン方式 : Aerial Image
一中健児之塔は、沖縄戦で学徒兵としてかり出されて亡くなった、沖縄県立第一中学校(現 県立首里高等学校)の生徒たちを弔った塔です。1950年4月30日に、那覇市首里金城町に建立されました。この場所はもともと一中の寄宿舎“養秀寮”があった場所です。その後、同校の百周年記念に養秀会館建設され、同時に一中健児之塔の改修移設も行われ、現在に至っています。
鉄血勤皇隊
学徒兵と言うと「ひめゆりの塔」が有名ですが、戦時中は多くの学生が、このように様々な学校から動員され、戦禍の中で散っていきました。いまの時代では遠い昔のことですが、作られた当時はなくなった学徒たちの顔を思い浮かべる人も多かったでしょう。そういう生々しい思いの深さを、過去の映像から感じ取ってもらえたら嬉しいです。
健児像について
健児像は映像に映っているように、もともとは玉那覇正吉の手による彫刻でした。作り直された、現在の健児像は石像ということもあるのか、やや肉付きの良い感じになっています。
» 一中健児の塔の健児像とモデルの学生 | 那覇市歴史博物館
玉那覇正吉は”ひめゆりの塔”の女学生像も制作していますが、設置された年に台風の強風で破壊されてしまいました。その破片を映した8ミリ映像も公開しています。
碑文
よどみなく ふるいはけみし健児らの 若き血潮そ 空をそめける
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