沖繩県の行楽地として1950年にオープンした遊園地の第一号、中城城跡の公園の映像です。1960年後半から70年までの時期だと思われます。城壁の前の広場には様々な遊具が設置され、今では考えられない光景が広がっていました。
N0. 0292-02
撮影者 : 匿名
タイトル:中城城跡公園 遊園地本編時間: 2m50s
主なロケ地 : 中城城跡 (沖縄県中城村)
撮影時期 : 1970年ごろ
撮影メディア : 8mm Film
スキャン方式 : Aerial Image
中城城跡公園は現在では世界遺産でもあり、文化的に価値のあるものは取り払われています。
公園としてオープンしたのは1950年。そのいきさつについては別項でも紹介した下記リンク先の論文を読んでみると、さらに興味深いと思います。
上記の論文から感じ取れるのは、中城城跡が米軍にとっても重要なメモリアルであり、基地の固定化に際しての親善作であると同時に、これから増えてくる軍属の家族の行楽地として、重要な意味を持って開発が進められたと言うことでしょう。
遊園地の施設
オープン当時の新聞には、園内の施設について、以下のような記事がありました。
「まず”子供の國”〜公園開きは三月はじめ」
(略)… 中には子供の國(千坪)運動場(一万一千坪)闘牛場、馬場、野外劇じょうのほか、花園、菜樹園、賣店等を計畫、,,(後略)(沖縄タイムス 1950年2月11日)
おもしろいのは中城城跡公園ないの遊園地の呼称が”子供の國”だったことです。現在、沖縄市にある「沖縄こどもの国」がオープンしたのは、中城城跡公園の22年後の1970年です。(ただし計画は60年代からあった)。
現在、沖縄アーカイブ研究所には、中城城跡の遊園地だけでなく、馬場の映像や、動物園を写した映像も届いており、今後も公開していきたいと思います。
映像で目を引くのは城壁をバックに回る「回転飛行機」の遊具。よく見ると米軍払い下げの航空機の燃料タンクを改造して作られているのがわかります。またアップ過ぎてよく見えませんが、観覧車があったこともわかります。その観覧車は女性が一人で管理していた様子が映像からわかります。
参考に、那覇歴史博物館が公開している航空写真のリンクも貼っておきます。
中城高原ホテルと関連施設
中城城跡は1955年から、民間業者の開発も始まりますが、いろいろあって最終的には頓挫します。当初は城壁内の本丸の場所にホテルを作るという計画もありましたが、それでは文化財でなくなるという理由でNGとなり、城壁の少し上にホテルが造られることになりますが、ご存知のように建設の途中で計画が頓挫。現在でも廃虚のまま残されています。
しかし、いくつかの観光施設はホテル周辺に造られました。映像に映っているウォータースライダー付きのプールや、動物園とは別に剥製だけの動物園など、営業をしていました。また園内を走る乗り合いバスは、園の入口からホテルやプールのある城壁の側まで客を運んでいたようすもわかります。映像に映っているバスの側面には剥製動物園のポスターらしきものも写り込んでいるのがわかります。
中城城跡公園のプールは、現在は樹木に覆われて廃虚になっています。ウィキペディアで「中城高原ホテル」のページを見ると、プールは「建設されることになっていたようである。」と記されていたが、この映像を見る限り営業していたことがよくわかる。ちなみに筆者も、このプールには二度ほど行って泳いだ記憶がある。
前述の通り、中城城跡公園のフィルムは、今後も徐々に公開していきますので、ご期待ください。
(文:真喜屋力)
こちらも貴重な映像、とてもありがたいです
西暦でいえば1975年頃?なのでしょうか。こんなにも賑わって遊具もあったとは驚きです。もうすでに廃墟のイメージしかなかったので