
1962年4月1日は琉球政府創立10周年を記念して開催された水産祭の映像です。
No. 2345-07
タイトル:水産祭 琉球政府創立10周年
撮影者:今村昌耕(Syoukou Imamura)撮影メディア : 8mm Film/Color/16fps
本編時間: 3m19s
撮影時期 : 1962年4月1日
主なロケ地 : 泊港埠頭 (沖縄県那覇市泊)
スキャン: Frame by Frame
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琉球政府創立10周年についてはこちらの映像があります。
琉球政府創立10周年には、様々なイベントが開催されていますが、那覇市の泊港では水産祭が開催されました。
泊港の水上パレードは午前10時すぎから一時間にわたって行われた。水産課の監視艇「はるかぜ」を戦闘に調査船「図南丸」が続き、そのあとに満艦色にいろどられた七隻の漁船を連ねて、泊港から那覇入口を折りかえした。軍艦マーチも高らかに堂々の海上パレードだった。
琉球新報 2962年4月1日
最後の「軍艦マーチも高らかに…」というくだりが時代を反映していますね。

ハーリー競漕
ハーリーと言えば、毎年GWの頃に開催される「那覇ハーリー」が、これは沖縄復帰の1972年頃のスタート。映像は10年前なので、私たちが知っている「那覇ハーリー」と少し違っていた。
なんと那覇以外の地域のハーリー(あるいはハーレー)競漕の船が、なんと9チームが集まったドリームマッチが開催されていたのである。以下、当時の新聞の記事。
競漕はA組が勝連、糸満、那覇、B組名護、奥武、港川、C組石川、本部、伊江の三組で予選が行われ、勝連、名護、本部が勝ち残り、決勝に進出した。海の男で知られている糸満はA組で勝連に百メートルも差をつけられて惨敗。引き続き行われた決勝戦では勝連と本部のセリ合いとなったがわずかの差で本部にがい歌があがった。
琉球新報 2962年4月2日
記事の感じからすると、下馬評では糸満チームの優勝がなんとなく期待されていたような感じが伝わってきます。
撮影者は糸満応援団の近くで感染していたようで、近くには糸満漁協の旗がたなびいているのがわかる。

興味深いのは、応援団が乗っている係留された船。なんと思いっきり傾いています。港の浚渫が甘いのかと思ったんですが、たぶん競走を観るために外側に人が集中してバランスが崩れて傾いているように思えます。

港まわりの風景
レースが終わってから、港から地元に帰る漕ぎ手たちの姿が映ります。道路交通法がゆるい時代で、みんなトラックの荷台に乗り合わせています。背後には「ある大阪の女」(溝口健二監督 1962年)の看板。
現在の国道58号線、当時の1号線の様子も。泊港前から南向きの風景と思われます。歩道と車道の明確な区別がな意地代。
次に花壇のような緑地の横を歩いている女性達が映ります。これは泊港ターミナル(現 とまりん)の前にあったローたり部分のものです。背後は道向かいで、現在パチンコ屋があるあたりと思われます。

また頭に”たらい”をのせた女性が歩く姿も。これは魚をたらいに乗せて売り歩くスタイル。背後に見える看板には「高橋コーヒ−」の文字。高橋は人名ではなく、泊港に隣接する泊高橋という橋の名前からきているのでしょう。当時は泊高橋の近くに魚市場もあったので、そこで仕入れた魚を売り歩くところかもしれません。
(文:真喜屋力)
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