【FILMS】戦後初の観光団〜ハワイからの帰省〜

戦後最初の沖縄への民間人観光団が来たのは1950年3月。その様子を記録した貴重な8ミリ映画が存在する。同じくハワイ移民の上原亀千代氏の記録といわれている。

No. 1946-14
タイトル:戦後初の観光団〜ハワイからの帰省〜
撮影者:上原亀千代(Kamechiyo Uehara)

撮影メディア : VHS/Color/16fps
本編時間: 8m34s
撮影時期 : 1950年3月
主なロケ地 : ホワイトビーチ (沖縄県)
スキャン: Screen Process

 

まず特徴的なのは、この映像が旅行団のカメラではなく、受け入れる沖縄側から撮られているということ。撮影者の上原亀千代は小禄村出身のハワイ移民。日系アメリカ人としてハワイで暮らしていたが、この旅行団よりも前に、沖縄入りしていた。

当時はハワイから豚、山羊、小学校への物資など、寄付を運ぶ目的に沖縄に来る民間人はいて、亀千代も何らかの目的を持って沖縄に来島し、たいざいしていたのであろう。

▲ホワイトビーチの岸壁に近づく大型客船。

映像にはなんの説明もなく、当初は詳細がまったくわからない映像だったが、以下の論文の”3-3 海外「救済者」の観光団”の項目に書かれている内容と酷似していることから調べたところ、同イベントの記録と判明した。

以下、上記論文の引用

沖縄観光業界の重鎮、宮里定三は「第2次大戦で焦土と化した沖縄に、初めて訪れた観光団は、ハワイ在住の県人会が企画した「沖縄観光慰問団」で、衣類や食料品の援助物資)を満載した米国のダラー汽船(筆者注、沖縄県系ハワイ2世の比嘉武信がまとめた『新聞 から見るハワイ 90 年の沖縄人 戦後編』74)ではダラー社ではなく、アメリカン・プレジデ ント・ライン社の船と記述とされている)が勝連のホワイトビーチに寄港したのが、沖縄 観光の第一歩だった」と述べている。

アメリカン・プレジデント・ライン(旧ダラー汽船)は、現在も存在しているが、1970年代から旅行の移動手段が飛行機にシフトしていった世相を受けて、コンテナ輸送で大きなシェアを持っている。

もちろんこの渡航が定期航路となるわけではないが、民間企業の船舶によって、民間人63人の大所帯が海外から来島するのは画期的な出来事だった。

戦後初の沖縄観光団は新聞紙面でも連日あつかわれ、当日行われた歓迎セレモニーをうるま新報では以下のように記している。

「波止場ではシーツ朝刊を始めぐん政府職員 志喜屋知事以下民政府勸迎委員 アーミィ バンド 家族及び踊娘一般参かん者で迎え■下船後直ちに式場に導かれ勸迎式が行われ 〜」

など軍も民も盛大にで迎えを行なっていたことが記されている。

▲軍楽隊による盛大な出迎え。

またうるま新報には「関係市町村長へ」という見出しとともに、来訪者の出身地の団体に対して以下の用な指示が出ていることを報じている。

當日遅くとも午前十時迄に吏員と出迎家族代表一人を引率して市町村目印の印[一尺×二尺]を用意せられたい。

映像には確かに[一尺×二尺]の「小禄村」と書かれた旗と、その下に小禄村出身の来訪者の名前が書かれた大きな旗を掲げた様子が映っていた。

▲迎えに来た人々が掲げる旗に書かれた名前。

この映像が、このイベントのものだと確証を得たのもこの旗二書かれた名前のおかげで、うるま新報に掲載された訪問団の名簿と突き合わせたところ、全員の名前が見つかったことによる。船名もおぼろげながら「GORDON]と言う文字に見えないこともない。

▲繋ぎあわせたパノラマショット(クリックで拡大)

まさに軍民政府を上げて盛り上げた観光団だが、厳密には戦災で焦土と化した故郷の復興を確かめようとやって来た訪問団という実情がある。おりてきた人々はおそらくハワイで成功した裕福な人々で、一様に故郷の家族親戚に会うことを楽しみにしてきた。

それゆえに「観光団」として位置づけ、大きく宣伝することは、当地責任者としての米国の復興の証しであり、琉球政府のの観光産業への足がかり、といった政策的な目論見の相乗りの結果のようにも見える。

この年に中城城跡公園がオープン、琉球大学の開校といった大きなイベントも行なわれ、訪問団も家族と会った後にバスツアーでそういった新しい施設を訪問している。

もちろんそれは訪問団としても、ハワイで待つ同胞に報告したい事案であり「三方よし」と言った結果になっていたように見える。

とは言え、沖縄が観光地として盛り上るのは、もっと後のことであろう。

また観光地の整備などは、沖縄に暮らす軍人軍属の家族の福利厚生にもつながる。朝鮮戦争前夜、基地の固定化にとっては重要な流れの一部だったとも見えてくる。

▲ハワイからやってきた乗客。

船で到着した人々は、出迎えた人々とともに桟橋の側に用意された特設ステージに集まり、盛大な歓迎式典に参加する。

舞台では要人の挨拶や琉球舞踊などが披露される。

▲桟橋のそばに用意された特設ステージ(クリックで拡大)

 

式典の終了後、用意されたバスに分乗し、それぞれの出身部落へと帰っていくことになる。

ユニークなのは大型のバスに混じって、トラックの荷台に座席を用意したものも混じっているところ。ひょっとしたらこれは来訪者の乗るものではなく、大挙してやってきた出迎えの人々のものかも知れない。

(文:真喜屋力)

▲背後には用意されたバスが見える。
▲バスに混じって荷台を客席にしたトラックも。

 

 

 

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