【FILMS】レストラン ピッツバーグ 1975年

No. 1812-02
タイトル:レストランピッツバーグの近所
撮影者:桃原稔(Minoru Toubaru)

撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps
本編時間: 59s
撮影時期 : 1975年ごろ
主なロケ地 : ピッツバーグとその近所 (沖縄県那覇市)
スキャン: Frame by Frame

No. 1811-04
タイトル:レストランピッツバーグから沖縄市へ
撮影者:桃原稔(Minoru Toubaru)

撮影メディア : 8mm Film/Color/18fps
本編時間: 6m39s
撮影時期 : 1975年ごろ
主なロケ地 : 自宅、国道など (沖縄県那覇市泊)
スキャン: Frame by Frame

レストラン ピッツバーグ。公式サイトを見ると、現在の店名は「ピッツバーグ・フォーラム」。那覇市泊の国道58号線沿いにあります。

創業は1962年です。ステーキがメインのお店ですが、有名店のジャッキーステーキハウスや、ステーキ88とかとは違った魅力があります。その魅力の一つはリーズナブルなチキンステーキと、注文を取りに来るお母さんのアットホームな雰囲気が魅力だったように思います。

» ピッツバーグ・フォーラム公式サイト

撮影されたのはどちらも1975年の海洋博のころ。このころピッツバーグは現在の店舗の場所から南に下った場所にありました。現在は食堂ルビーというお店が建っている場所が、このフィルムの主なロケ地になります。食堂ルビーも当時からありましたが、もう少し泊高橋側にありました。こz

▲店舗位置の比較図(クリックで拡大)

 

No. 1812-02 レストランピッツバーグの近所」

こちらのフィルムは、お店の周りを映したこじんまりとした映像です。ピッツバーグの前を一旦通り過ぎて、ぐるりと回り込んで店の横に車を付ける場面が映ります。道路はもちろん右側通行。

▲冒頭。車で店の前を通過する所。

路地で遊ぶ子供たち。位置関係で言うとカメラの背後が国道58号線。この道をずっと奥に行くと泊の外人墓地の方に向かいます。

画面の左側がお店です。手前でヤカンなどを運んでいるのは、ピッツバーグのホール係もしていたお母さん。たぶん、お店に通っていた人ならみんな憶えているのではないでしょうか。

▲ピッツバーグの側面の路地で遊ぶ子供たちと、働くお母さん。

No. 1811-04 「レストランピッツバーグから沖縄市へ」

二本目のフィルムは店の脇の路地(前のフィルムで子供たちが遊んでいた場所)から始まります。

▲ピッツバーグ横の路地。左がお店。

店の前に停めた車にいろいろ積み込んで、これから家族で遊びに行く準備をしています。

店の前にタバコの自販機ともう一つ大きな黄色い自販機が置かれています。これは「天ぷらうどん」の自販機。ステーキ屋がなぜ「天ぷらうどん」を売るのか、なかなか疑問ですが、珍しいものが好きだったのど、海洋博のころでもあるので、話題性のある珍しいものを置いてみたかったようです。

しかし、この自販機を利用するのは家族だけで、しかも設置して数ヶ月で自動車が突っ込んできて破壊してしまったということです。映像でも前面の扉がはずれているのが見えます。とは言え、これがなければ店のガラスを壊さずにすんだと言うこともあり、運が良かったとも語られていました。

▲壊れた「天ぷらうどん」の自販機
▲壊れた「天ぷらうどん」の自販機。

後半はドライブをしながら助手席から見た車窓の風景を撮影しています。ドライブ場面の始めはプラザハウス。そこから国道を北上していくので、主に沖縄市街の映像です。

撮影がズームをいじり過ぎて落ち着かない映像ですが、ひょっとしたら助手席にいる子供が撮影したものかもしれません。ところどころ停めて見ていただけると、懐かしい風景が観られるのではないでしょうか。いかに少し画像を貼り付けておきます。

▲ハリレラ デパート(Harlera’s Dept. Store)と言うな前書きになります。
▲コザの町並み
▲コザ・ボウリング。

その後、一行は親戚の家らしき場所でゆっくり。撮影者のフィルムには、親戚一同でビーチパーティーをしている様子もあり、これからまたどこかへ移動して行くのかもしれません。

(文:真喜屋力)

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