今から60年前、アメリカ統治時代の沖縄で行なわれた陸上競技の九州大会。正式名称は「九州各県陸上競技大会」。合併前の小さな名護の町に選手団はもちろん、沖縄中から人が集まった記録。そういえば、先日上映会でこの映像を披露した時に、高校生のころに友だちと那覇から歩いて名護まで観に言ったという人がいました。
No. 0109-00
タイトル:第八回九州各県対抗陸上競技大会 於名護
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 16m38s
撮影時期 : 1960年11月6日
主なロケ地 : 名護町営グラウンド (沖縄県名護市)
スキャン方式 : Aerial Image
まだ合併前の小さな町。そこに大勢の選手と観客が訪れ、まさに町をあげてのお祭り状態だったようです。1960年(昭和35年)11月6日の沖縄タイムスには「町にみなぎる大会気分」「旅館、昼から満員 花火を打ち上げ前景気」「バスは大幅増車」「開会式にハト百羽」などと見出しが躍り、「2万個の折り詰め作りに大わらわ』とキャプションのついた写真も掲載。
戦後初か?国旗掲揚と国歌斉唱!
しかし,興味深いのは11月6日の夕刊の記事。見出しはつまり大会の内容を報じた記事だ。スタンド埋めた三万の観衆」が「君が代」を高らかに斉唱し、「15年ぶりの国歌に感激」と書かれている。特に印象的な文章は
「ただ対称的だったのは、年配の人たちには十数年ぶりに聞く全くの感激だが、小さな学童たちには、初めて聞く国歌、その受ける感じはおのずと違っていることだった」
という記者の感想に加え、
「感激のあまり涙があふれてきた。戦争のころは、八つで君が代を知らなかった。だが国旗掲揚の風景に接するのは生れて初めてです」
という観客の声も伝えている。
広告あれこれ
会場には清涼飲料水の7upのアドバールーンが上がっている。重箱の隅を突くようだが、こういった清涼飲料水の歴史も、戦後のアメリカ文化を浮き上がらせてくるものだという気がしている。ウィキペディアによれば、日本セブンアップ飲料と言う会社が日本にできたのが1957年。
ウィキペディアによると、7upは1929年にアメリカで生まれた飲料水。1957年に日本でセブンアップ飲料が設立される。その後、1961年にセブンアップ飲料(後のチェリオ沖縄)というボトラーが沖縄に設立される。この映像はセブンアップが日本輸入品だったのか?それともアメリカ直輸入ですでに人気だったのか。あるいは沖縄工場が生れる前宣伝だったのか?時代の動きを感じさせる1カットである。
加えてその場に似つかわしくない「太陽の墓場」という映画の広告。大きなイベントごとがあると、このような横断幕があちこちに写りこんでいて、時代の特定に一役買っているのだが、こういったものが正式な大会スポンサードなのか、場外にかってに設置したものなのか大変気になるところでもあります。
なんとなく懐かしいもの
個人的にツボなのは、下の写真の会談場の座席。ゴールラインにストップウォッチをもって待機する計測係の皆さん。出走する選手の数だけゴールライン真横に陣取っているので、このような座席が用意されています。最近はあまりに期していなかったのですが、今でもやっているのでしょうか?大きな大会だと、もっと楽な機材やビデオ判定など、いろいろありそうですが。
と言うわけで、大会の内容よりも、周辺がいろいろ気になる映像でした。ほかにもいろいろ気になることはあるのですが、またの機会に御紹介したいと思います。
(文:真喜屋力)
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