不思議なタイトルですが、二つの事象が交互に編集されていて分けられないのです。一つは野球の試合で場所は不明。もう一つは国際通りにあった沖繩相互銀行本店。現在もある建物が映っている国際通りの映像です。
No. 0298-02
タイトル:野球と沖縄相互銀行
撮影者:匿名撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 3m1s
撮影時期 : 1957年
主なロケ地 : 国際通り (沖縄県那覇市久茂地)
スキャン方式 : Aerial Image
野球の試合
まずは野球の映像。どういうチームか、場所はどこなのかは現在不明です。学校のようなところでやっています。那覇高校ではないかという説もありますが、決定打はありません。
とりあえず二組の写真。どちらも右側は、左の画像の赤い部分をかこったものの拡大。
上の写真は、どちらもバッターボックスですが、背後の建物が違うので違う場所でしょう。
ここでの手がかりは胸のチーム名がプリントされた服。それぞれ「真セ」あるいは「具セ」に見えます。もう一つは「A2YA」と読めますが、どこのチームでしょう。情報提供をお待ちしています。
沖繩相互銀行
もう一つ、大きなトピックは国際通りにあった、沖繩相互銀行本店の映像です。パンショットを繋げてわかりやすくしたのが下の写真です。屋根に乗った大きなシーサーが特徴的です。
沖繩相互銀行は現在の沖縄海邦銀行です。その変遷は総称ややこしいので、沖縄海邦銀行の沿革へのリンクをご覧下さい。またこちらのリンク先には、同じ建物の写真も掲載されています。
要約すると以下のようになります
1949年5月 – 前身の沖縄無尽株式会社と那覇無尽株式会社が設立。
1953年11月 – 沖縄無尽株式会社が商号を沖繩相互銀行。那覇無尽株式会社が商号を第一相互銀行に行名に変更。
1964年4月 – 前述の2行が合併。中央相互銀行になる。
1972年3月 – 本土復帰に備えて社名を沖縄相互銀行に変更。
1989年 相互銀行の普通銀行転換に伴い、行名を現在の沖縄海邦銀行に改める。
ちなみに合併したもう一つの相互銀行、沖縄第一銀行本店の建物は今も残っています。国際通りの中ほど、一銀通りと交差する角の海邦銀行の建物がそうです。要するに”一銀通り”の名前の由来になったのはこの銀行ということです。
映像に映っているのは、合併前の沖繩相互銀行の本店ということになります。これより古い写真は那覇市歴史博物館が所蔵しています。
撮影場所について
背後に見える「紙のデパート」とは、「ざまみ」というお店で、現在は久茂地側沿いに移転していますが、もともとは現在の御菓子御殿国際通り松尾店の場所にありました。またこの辺は当時は久茂地ではなく美栄橋という名称でした。
さらに下の写真の背後をごらんください。独特の格子模様のコンクリート建築が見えますが、これは現在も残っている建築で、宮古そば「どらえもん」の入っているビルです。
時代はいつか?
フィルムには撮影時期は書かれていませんでしたが、NPO法人シネマラボ突貫小僧のメンバーより重要な指摘がありました。
「ざまみ」の前にある横断幕をよく見ると「青い山脈」と書かれており、映画の広告であることはすぐにわかります。しかし「青い山脈」は何度か映画化されているため、簡単には答えは出ません。そこで彼らが着目したのは題名が明朝体で書かれていることでした。映画のポスターをググってみると、なんと明朝体で表記されたタイトルは、一本だけ。1957年の東宝で映画化された物でした。その公開年を調べたところ、1957年という時期が浮かんできました。
他にも、銀行内部が映っています。暗くてわかりづらいものの、雰囲気を今に伝える貴重な映像です。
(文:真喜屋力)
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