北谷町の公文書館から一枚の写真のコピーが届いた。写真は戦前のもので、かつて北谷にあったトンネルが写っている。北谷町の町史にも掲載されている写真で、出所は不明。この場所には見覚えがあった。先ごろ僕らが復元した『沖繩縣の名所古蹟の實況』という昭和七年撮影の記録映画にも写っている。
しかし…似ているという程度ではなく、記憶の中の映像にあまりにも同じだったので、慌てて問題の動画を再生してみると、構図だけでなく、写っている物すべてが同じだった。つまりこの記録映画を、何者かがかつて撮影していたということだ。
しかしだ、映画の一コマをこんなに綺麗に撮影するのは至難の技である。もしやと思って復元動画を確認した。映像には街道を手前から奥に進む馬車が写っている。その動きから北谷町公文書館所蔵の写真の一コマを探し出そうと、ゆっくりとコマ送りをした。おそらくこの次のカットがその箇所だな…とコマを進めたところ、「あっ」と思わず声が出た。
なんとそこには切れたフィルムをつないだ痕跡があったのだ。さらにどう見ても問題の一コマ、つまり北谷町公文書館と全く同一のコマが存在していなかったのだ。
お気に入りのカットを、映写技師が一コマ切り抜いてコレクションをするということは、けして賞賛できることではないが、古株の映写技師から一種の武勇伝のように聞かされたことはある。かつて、あちこちの映画館でそのようなことがあったに違いない。まあこれも、そういう手合いの案件なのでしょう。
つまりは、北谷町に縁のある何者かが、映写技師の協力で一コマをくすね、自分のコレクションとし、著作者名を伏せたまま、その複写を寄贈してしまう。何十年も前に行われたであろう、ささやかな犯罪が、僕の目の前で明るみになったわけです(笑
これは一本のフィルムを巡るドラマの発見です。いわゆるデータではなく、フィルムという物理的な存在だからこそわかることができる、人と映画の関わった痕跡なのです。当たり前ですが、このフィルムは確かに沖縄にあったのだという実感が、ひしひしと伝わるできごとでした。
フィルムは様々な人に目撃され、触れられながら、何十年という時間を経て存在してきた。映画として完成した後も、こんな風に物語をフィルムに刻みつけ、わが身に起こったドラマの片鱗を記録し続けていたわけです。これこそが、フィルムという物理的なメディアの魅力なのだ。それを読み取る快楽に取り憑かれて、僕はフィルムに向き合っていると実感したしだい。
PS
『沖繩縣の名所古蹟の實況』の北谷町と嘉手納など一部を、平成29年12月19日(火曜日)から25日(月曜日)までに開催される『開館25周年記念企画展 北谷戦後七十年余の歴史 あの日あの時』にてお披露目いたします。
文:真喜屋力
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