首里博物館は1953年5月26日に併設のペルリ100年記念館とともに落成式が行われました。しかし、1955年に名称を「琉球政府立博物館」と改名したことから、この映像は1953年5月~1955年の間に撮影されたと思われます。
No. 0001-03
タイトル:首里博物館、ペルリ百年記念館
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 1m46s
撮影時期 : 1953年〜1955年
主なロケ地 : 首里博物館 (沖縄県那覇市首里)
スキャン方式 : Aerial Image
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首里博物館
冒頭にスケッチらしい映像が映るが、別の場所で撮影された映像と思われる。
続くパンショットで、首里の龍潭が映ります。丘の上に並ぶ建築は琉球大学で、この場所は現在は首里城が復元されています。赤瓦の建築物が首里博物館とペルリ百年記念館です。さらにパンをすると手前に伸びる道路が現在の県道29号線で、カットの最後にちらりと入ってくる緑色のバスは首里バスです。バスが出てきた場所には停車場がありました。そこは中城御殿の跡地で、後に首里博物館の後継となる、県立博物館が建てられた場所です。
首里博物館
首里博物館は、屋根は赤瓦、外壁は赤煉瓦、形はコの字型の美しい建造物でした。設計者の仲座久雄は戦前戦後に活躍した建築家で、花ブロックの考案者とも言われています。
戦時中に激しい空襲や艦砲を受けた首里の街は、戦後しばらくは民間人が入ることが規制されていました。人々が戻ってきた時には辺りは荒れ地で、多くの文化財も野ざらしになっており、破壊されたり、盗まれた文化財も少なくはありませんでした。それらの文化財を搔き集め、保存と公開を行っていく施設として首里博物館は作られました。
ペルリ百年記念館
首里博物館の建設には資金、資材ともに苦戦したようですが、ペルリ百年記念館を併設することで、米国民政府からの援助を受けることができ、どうにか完成にこぎつけることができました。
調べていくと、ペルリ百年記念館は、もともと中城城趾公園に作られる計画があったようです。その辺の状況は下記のリンク先の謝花直美氏の論文に書かれております。興味のある方はご一読ください。
(文:真喜屋力)
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