ニシムイの画家、玉那覇正吉のスタジオでの作業風景を含む、プライベートを収めた貴重な映像。玉那覇と親交のあった、遠藤保雄による8ミリ映像。
No. 0001-01
タイトル:ニシムイの玉那覇正吉スタジオ
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)撮影メディア : 8mm Film/Color/16fps
本編時間: 3m8s
撮影時期 : 1953年〜1955年
主なロケ地 : 玉那覇スタジオ〔ニシムイ) (沖縄県那覇市首里儀保町儀保)
スキャン: Frame by Frame
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ニシムイ / 首里博物館 / 那覇港
スタジオの外、ニシムイから遠景
最初にUSAF(アメリカ空軍)の機上からの映像。これは玉那覇正吉とは関係はありません。軍関係の仕事をしていた撮影者が沖縄に戻る時に撮影した映像です。
続いてニシムイにあった玉那覇正吉のスタジオの外観が映し出されます。ニシムイ美術村の雰囲気が伝わってきます。飛行機模型を持っているのは友人。
上記映像の左側の背景に見える断崖は、トラジ山(虎瀬山)であろうと、元ぴょぴょ会メンバーで画家の治谷文夫さんが語っていました。
またこの時、背後にある煙突のある建物は大城皓也氏のスタジオ兼住宅です。
スタジオ内の作業場
スタジオ内の作業風景が映し出されます。米軍関係者の家族らしき人物の描画を行っています。モデルとその家族が周囲で観ているのが薄っすらと映り込んで、和やかな雰囲気が伝わってきます。
8ミリフィルムの画面ではかなり狭い感じがしますが、画像を繋ぎ合わせていくと、ゆったりとした応接間のような部屋であることがわかります。
その他
スタジオで玉那覇が手にしている像の一部は、撮影者によると、1951年にひめゆりの塔に設置された乙女像の破片。乙女像は設置されて一年と持たず、台風で倒壊している。確かに、那覇市歴史博物館の写真などと比較すると、唇のところなど良く似ている。乙女像が台風で倒壊したのは1951年の秋ですから、それ以降の映像であることがわかります。
また、模型飛行機を工作している姿など、玉那覇の日常の趣味が映し出されているのが興味深い。
(文:真喜屋力)
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