【東アジア映像館】
おきなわ道ものがたり 〜復帰40周年ビデオ〜

沖縄本土復帰40周年記念!沖縄の道の歴史と展望。沖縄道の記録映像。
沖縄の道の歴史を、歴史上の転換期とともに、当時の映像も交えて紹介しています。
国を作ることは、道を整備することであり、琉球処分での道の整備から始まり、人力車や軽便鉄道の出現の後に沖縄戦を経て、米軍統治時代の軍道路網の確保など、道づくりは社会状況の変遷に合わせて行われていることが分かります。
シネマ沖縄で制作した建設記録映像なども交えて、沖縄の道の歴史をお伝えしています。
すでに公開した映像もありますので、合わせてご覧くださいませ!

◎廃藩置県
1回目のターニングポイント。
琉球王国が誕生し、石畳や石橋で整備された宿道により、沖縄本島全域が繋がりました。

◎沖縄戦と米軍統治時代
2回目のターニングポイント。上陸した米軍はまず、軍道路網を確保しました。58号線が1号線となり、軍の作業は道づくりから始まりました。

◎本土復帰:1972年5月15日
3回目のターニングポイント。
復帰前の軍道や琉球政府道から、一般国道・県道の区分に改められ、基地問題を抱えたまま復帰と共に日本の道路としての復興整備が始まりました。

◎第一次沖縄振興開発計画(S47-56年度)
復帰を記念する道路事業としては、北部・宮古・石垣・西表・久米島の主要5島一周線の整備が位置付けられました。また植樹祭や若夏国体、沖縄国際海洋博覧会など復帰記念イベントが開催され、沖縄本島全体の道路整備を進める大きなきっかけとなりました。

◎昭和53年、730ナナサンマル
国連の道路交通条約で通行する側はそれぞれの国において統一されていなければならないとされており、米軍統治から続いていたアメリカと同じ車両右側通行が日本本土と同じ左側通行に変更されました。
当時のそのままの映像もあり、臨場感を感じることもできます。
・沖縄道の記録730
・宜名真トンネル(昭和54年〜昭和58年)
・瀬底大橋(昭和54年〜昭和60年)

◎第二次沖縄振興開発計画(昭和57年〜平成3年度)
観光客が200万人を突破。昭和62年、第42回国民体育大会、海邦国体が開催され、全国から集まる人々のために道路整備やインフラ整備に力が注ぎ込まれました。
・名護運天港線(昭和57年〜平成3年)
・於茂登トンネル(昭和59年〜昭和62年)
・屋嘉恩納線(昭和61年〜平成2年)
・池間大橋(昭和62年〜平成4年)
・屋我地大橋(平成元年〜平成5年)

◎第三次沖縄振興開発計画(平成4年〜平成13年度)
社会基盤整備の充実や技術経済の確立のため、平成4年度から更なる10年の間、第3次振興開発計画が始まりました。
・南風原高架橋(平成4年〜平成12年)
・海中道路(平成5年〜平成11年)
・沖縄都市モノレール(平成8年〜平成15年)
・安里交差点(平成10年〜平成15年)
・那覇うみそらトンネル(平成9年〜平成23年)
・古宇利大橋(平成9年〜平成17年)
・県道9号線半崎トンネル(平成10年〜平成11年)
・沖縄サミット(平成12年)

◎沖縄振興計画(平成14年〜平成23年)
沖縄の特性を生かした自立的発展の基盤整備を目指し新たな沖縄振興計画
・識名トンネル(平成19年〜平成22年)
・ワルミ大橋(平成18年〜平成22年)
・伊良部大橋(平成18年〜)

◎沖縄21世紀ビジョン基本計画(平成24年〜平成33年)
東西南北を有機的に結ぶ幹線道路ネットワークの構築や鉄軌道導入に向けた取り組みが推進されています。

製作年 2012年(平成24年度)
上映時間 60分
企画 沖縄県土木建築部 道路街路課
製作 (株)シネマ沖縄

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