海洋博覧会の翌年。沖縄県の観光の顔となっていた守礼の門のまわりの風景です。1分もない短い映像。
No. 0947-01
タイトル:守礼之門前
撮影者:外間宏三(Kouzou Hokama)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 58s
撮影時期 : 1976年8月
主なロケ地 : 守礼の門 (沖縄県那覇市首里)
スキャン方式 : Frame by Frame
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守礼門
守礼門は首里城と同じく、第二次世界大戦で焼け落ちますが、現在の守礼門は、1958年に復元されたものです。首里城の正殿が復元される1992年までは、長く沖縄観光の象徴でした。それは首里城正殿が完成後、8年目に作られた二千円札の図柄が、首里城ではなく守礼門であったことからも、定着ぶりがわかると言うものです。
当時は首里城正殿があるべき土地には琉球大学(1950年開校)があり、復元できる建物は限られていました。守礼門の周りも、映像でわかるように車道が通っており、ひまひとつ俗っぽい風景と言えます。
それゆえか、観光客からは「日本三大ガッカリ」の一つに選ばれ(他の二つは「札幌の時計台」「高知のはりまや橋」)ることもありましたが、ふらりと立ち寄りやすいランドマークとして、地元では愛されていました。
2000年に二千円札が発行された時点では、公開から8年経った首里城正殿ではなく、守礼門が紙幣の図柄に選ばれるなど、不動の地位を築いていたと言えるでしょう。
このころすでに琉球の伝統衣装を着たモデルさんが立っており、記念撮影などの商売が始まっているのがわかります。このへの仕事のルーツも辿ってみたいものです。
現在の守礼門は、両側を石垣で囲まれていますが、このころは前述の通り周囲に道路が走っており、ドライブスルーでも観光できるような感じになっています。
また守礼門の後ろには、移動パーラーと園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)が見えます。園比屋武御嶽は1519年に作られた門で、その向こうには建物はなく聖地である森が広がっていたと言うことです。この門も、第二次世界大戦で破壊されますが、守礼門の1年前の1957年に復元されました。
(文:真喜屋力)
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