【FILMS】首里の風景 自宅から守礼の門

1970年代、守礼の門に散歩に出かける首里在住の撮影者の家族。観光地ではない首里の風景です。

 

N0. 0292-07
撮影者 : 匿名
タイトル:首里の風景 自宅から守礼の門

本編時間: 2m16s
主なロケ地 : 守礼の門など (沖縄県那覇市首里当蔵)
撮影時期 : 1970年代初頭
撮影メディア : 8mm Film
スキャン方式 : Aerial Image

フィルムの前半は自宅の庭で遊ぶ子供たちの様子が映されています。庭に遊具があることをのぞけば、沖縄のどこにでもある一戸建ての民家と言う風情。花ブロックや、コンクリーとの水タンク、コンクリーと瓦に鉄の門扉。沖縄の人なら、どこかで見たことのある、そんな風景です。

周りの景色から、ここも首里であることがわかります。

 

▲首里の自宅。

当蔵市街地住宅と首里の街並み

映像の中ほど(1分28秒ごろ)に、首里の当蔵の通りを歩く家族の姿が映る。那覇の安里十字路から鳥堀交差点まで、首里の大動脈とも言うべき通りだが、歩道もなく、瓦屋根の言えや、木造の塀など、落ち着いた風情を感じさせる。この時背後に映っている大きなコンクリート建築は当蔵市街地住宅。1968年に建設されたが、2019年の秋に解体された。半世紀にわたって首里の町の風景の一つであった。

当蔵市街地住宅は、建設当時の首里では珍しい高層建築で目立つだけでなく、一階にスーパーマーケットもあったことから、地域の人々に親しまれていた。解体工事について取材した沖縄タイムスの記事では

 1級建築士でもある小倉暢之琉球大名誉教授は「店舗が入居し、上階に住宅を構えるミックスタイプは当時としては珍しく、未来的な建物だった。復帰前は低層階の建物が多く、ランドマーク的な建物だったのだろう」と話した。
» 半世紀お疲れさま 「未来を先取り」した首里のあのビル、思い出残し解体進む | 沖縄タイムスプラス

というコメントもあり、まさに時代を象徴する建築であった。

 

▲当蔵の通り。右端のビルが当蔵市街地住宅(クリックで拡大)

 

▲解体作業中の当蔵市街地住宅(右端のビル:2019年11月撮影)

 

守礼の門と城西小学校

家族連れでやって来るのが守礼の門。現在の守礼の門は両サイドに石垣が組まれており、この写真のような開けた映像はもはや撮影できない。当時は何もないところに門だけがポツンと建っている感じで、「日本の三大がっかり観光地」の一つに数えられていたのだが、アングルによっては青空に赤瓦が這える美しい建築であったことが8ミリ映像から伝わってくる。観光地として以上に、地域のシンボルとして愛されていたのだ。

首里城正殿が復元されるまでは名実ともに沖縄の象徴的建築物であったといえるが、実は1992年に首里城正殿が復元されてもなお、8年後に発行された二千円札のデザインとして、正殿ではなく守礼の門が選ばれたことからも、少なくとも20世紀のあいだは守礼の門の人気は不動だったのではないだろうか。

(文:真喜屋力)

 

▲1970年代の守礼の門の前で。背景に那覇市立城西小学校が見える。(クリックデ拡大)



 

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