消えた区割りと、8ミリ映画の文化

1950年代後半ごろと思われる8ミリの箱

前回のブログ「8ミリのロケ地を探して〜「沖縄相互銀行」編の中で、沖繩相互銀行美栄橋支店の支店名がおかしいのではないかと書いたところ、昔の区割りでこの辺は美栄橋町であったと指摘を受けた。

美栄橋町というのはすでにないため、僕も失念していたのだが、そういえば興味深い資料が手元にあったことを思い出した。

これは収集した1950年代後半の8ミリフィルムのケースの裏。3号リールと呼ばれる一番小さい規格で、手のひらに乗るくらいの箱だ。切手と書かれた部分で,だいたいの大きさを想像してみてください。

ともかく、ごらんのように、送り人の住所に「那は市美栄橋町」と書かれている。那覇市の”覇”を省略するのは,昔けっこうやった憶えがあって懐かしい。それはともかく、この住所を見た時に、このような区割りがあったとは知らなかったので、ちょっと感動したのだ。だがしかし、それ以上に驚くポイントがあって忘れていた。

どうやら、このころは箱にそのまま切手を貼って出せば、小売店を通さなくても現像所に送ることができたようなのだ。少なくともそういう仕様に作られている。ただこの箱には切手が貼られた形跡がないので、実際にはまとめて小包で出したか、あるいは小売店でまとめて発送した可能性はある。

こういう8ミリ映画に関わる文化に関しても、いろいろ調べてくるとわかってくることがある。奥が深い。

文:真喜屋力

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