イベントだけが8ミリ映画ではありません。風景だけをなんとなく記録した映像もあります。このフィルムは冒頭は花やシーサーなどの静物。その後、長いパンショット(カメラの向きを左右に回して撮影する方法)で、那覇の街のパノラマを撮影しています。1970年初頭のランドマークなどがいくつか映り込んでいて、細かく調べていけば,ハッキリとした撮影時期が特定できる、楽しい映像です。
No. 0159-01
タイトル:那覇の風景、パンショットなど
撮影者:真境名敏夫(Toshio Majikina)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 3m43s
撮影時期 : 1970年ごろ
主なロケ地 : 沖縄三越,前島,アドベンチストメディカルセンタ- (沖縄県那覇市)
スキャン方式 : Frame by Frame
パノラマショット1
花とシーサーの映像の後、最初に映るパノラマショットは、おそらく沖縄三越の屋上からとられたものでしょう。一番最初に映し出される大きな屋根の建物が映画館のグランドオリオン。現在は屋台風の食堂街になっています。そこから右にパンしていくと、桜坂の飲食店街が映り、緑色の希望ケ丘とその背後に桜坂琉映(現 桜坂劇場)と桜坂オリオンが映り、その遥か後ろに那覇市民会館が見えます。グランドオリオンの遥か後方の山の上が、琉球大学首里キャンパスと思われます。
那覇市民会館が完成したのは1970年ですから、それ以降の撮影でしょう。
だいたい見えているのは下の地図の範囲だと思います。
パノラマショット2
つづいて映し出されるのは、那覇市前島からのパノラマショット。又吉通りに沿って、最後は泊高橋の交差点方向で止まります。
背後に見えるの丘の向こう側が現在の”おもろまち”ですが、このころは米軍基地で,主に住宅地でした。その様子は下記リンク先でヘリコプターから撮影した8ミリ映像を見ることができます。また、丘の中腹には基地の外ですが、外人向け住宅がチラホラ見えています。
今も面影のある建物を現地取材、比較したのが下の写真です。給油所は昔から有名な場所なので驚きませんが、真正面にあった一番目立つ建物が、ほぼそのまま残っていたのには驚きでした。あとその左側、二軒先にある瓦屋根の二階建ての家の場所にも古民家風の店があったので、同じ建物かも知れません。
パンショットの最後に映る給油所のCALTEXは、非常に有名な古い店です。形もほぼいっしょですが、作り替えている可能性も無きにしもあらず。
気になるのは画面左奥。泊高橋交差点の奥に見える丘です。いわゆる天久の丘です。70年代は東急ホテルとホテルエッカがそびえていましたが、この映像にはまったく見えません。調べてみるとホテルエッカは1975年開業ですので、それ以前のフィルムなら映っていないのは不自然ではありません。
東急ホテルは1952年に『琉球ホテル」として開業。1961年に「琉球東急ホテル」と名称が変わります。できて間もないころの写真を見ると、ホテルは瓦屋根の立派な建物で’70年代の建物とはまったく違う形に見えます。高さも3階くらいと低く、この撮影ポイントからは見えなくてもおかしくありません。高層化した時期がわかれば、この謎は解ける可能性もあります。もちろんアングルの問題で見えないだけかも知れませんが。
パノラマショット3
三つの目のパノラマは、現在のザ・ナハテラスの敷地にあった、アドベンチスト・メディカル・センターの正面から見下ろした那覇の町です。アドベンチスト・メディカルセンターは、その名が示す通りセブンズデー・アドベンチスト教団の医療施設。現在は浦添市に移転しています。中央付近から奥に延びる道路のすぐ右脇に広がる畑は教団のもので、現在はセブンスデーアドベンチスト教団那覇キリスト教会が建っています。
中央の道のずっと奥に、大きなビルが見えますが、地図上で方向を確認したところ、おそらく國場ビル(沖縄県那覇市久茂地3-21-1)と思われます。
このカットで一番興味深いのは沖縄三越が映っていることです。長らくこの横に那覇タワーという展望塔の付いたビルがありましたが、このころはまだ姿が見えません。那覇タワーの竣工は1973年と言うことですから、このフィルムは,那覇市民会館ができた1970年から1973年の初頭までの映像でしょう。
ふと気になるのは三越の背後に煙が見えます。これはなんだろうと気になったので、地図とGoogleストリートビューでチェックしてみました。
検証したのが下の画像です。【撮影場所】から【元 沖縄三越】の方向に補助線を引き、ずっとのばして見たところ、漫湖に行き着きました。那覇大橋の少し上流のポイントです。
丁度このポイント”【FILMS】漫湖の水鳥”の動画で、1970年代後半の姿が残っていました。下がそのパノラマ化した画像です。今は公園が整備されておりますが、当時はベニヤ工場がなどがありました。三越の背後に立ち上がった煙は、まさにこの煙突からのものと思われます。
気になるのは沖縄三越があるなら、当然沖縄山形屋の看板も見えるはずです。しかし、それらしい大きなビルが映り込んでいるものの、長く突き出た看板が見当たりません。この辺も後から増設した可能性はあるので調査が必要なところです。
沖縄三越、沖縄山形屋ともに、現在は無くなってしまったので、資料をどこで調べればいいのか見当がつきませんが、映像を公開するとともに情報を募りたいところです。
さっそく、ずけらん氏から情報が入ったので、リンクを貼っておきます。
上記リンク先で紹介されている”CiNii 論文 – 沖縄県における大規模小売商業の史的展開 : 百貨店の歩み”にある「店舗面積の推移」を見れば、デパートの増床工事のタイミングがわかります。山形屋は1972年に大規模な工事をしたことが判るため、あのヒョロリと天にのびた縦長の看板は、そのタイミングにできたのでしょう。
ずけらん氏からの指摘で、那覇市民会館の横の琉大付属病院が建築中であるということがありました。こちらも完成は1972年だと思われます。かなり形はでき上がっていますが、山形屋の工事が始まっていなさそうということを考えると、”1971年ごろ”という表記が順当なのかと思われます。
(文:真喜屋力)
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