【FILMS】海中道路 祝貫通

海中道路とは、勝連半島と平安座島をつなぐ全長5,2kmの道路で、1972年4月に開通しました。しかし、このフィルムは開通ではなく、”貫通”と言うのがミソ。舗装や、街灯などの整備はまだまだできていないが、とりあえず土台がつながった状態。工事関係者が多いが、そこに混じって地元の人々も映りこんでいる。

No. 0401-00
タイトル:海中道路 祝貫通
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)

撮影メディア : 8mm Film/B&W
本編時間: 2m9s
撮影時期 : 1971年6月5日
主なロケ地 : 海中道路 (沖縄県うるま市)
スキャン方式 : Frame by Frame

 

▲地続きになった海中道路工事現場に人々が集まっている。(クリックで拡大)

海中道路の建設の苦難の歴史は、下記のサイトに簡潔にまとめられている(古写真あり)。一時は自力で島人たちが道を作ろうと石を積んでいたこともあり、その悲願のようすはぜひ御一読いただきたい。

» 平安座自治会 | 世開けの歴史

フィルムの箱には「1971 海中道路開通式」と書かれていたが、画像を観る限り未舗装の状態で、「開通」にはいたっていないと思えた。そもそも開通したのは1972年であるので、つじつまが合わない。映像を良く観ていると、登場する車両に「祝貫通」という文字があったので、これは「貫通式」なのだろうと思い、平安座島の資料を探したところ「ひやむざかなもり-写真に見る平安座今昔-」(1984年 平安座自治会発行)という本に、写真を発見した。キャプションから1971年6月5日であることがわかった。それを元に新聞資料もあたったところ、二日遅れの1971年6月7日琉球新報 地方版に記事を発見した。

▲「祝貫通」の垂れ幕を付けて、島の老人たちを載せたバスが走る。

琉球新報では「本当-平安座島が陸続き 果たし得ぬ悲願実現 ”現代の国引き”に住民感激」の見出しと写真入りで記事が掲載されている。その記事によれば、島の人々をバスに乗せて、未舗装のバスで本島への往復ドライブを行っている。

「バスに乗ってわずか二十分で本島を往復してきた老人たち「夢のようだ」を連発するだけで、あとは感無量といった表情。中には涙ぐむものもいた」

琉球新報 1971年6月7日 地方版より

バスの中に乗っている、島の古老たちの気持ちを想像しながら、この映像を見ていた抱きたいと思います。もちろん翌年の開通式も感動的だったと思いますが、長年のあいだ海上の道を悲願していた島人にとっては、実感を伴ったこの日の感動は、一生忘れられないものになったのではないかと、想像するのです。

(文:真喜屋力)

▲工事関係者も記念で撮影。みんな笑顔。

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