北谷の米軍基地にあった陸軍病院(後の海軍病院)の竣工式、または落成式の映像です。建設当時、東洋一と称するほどの立派な施設が記録されています。
No. 0107-02
タイトル:陸軍病院俊設工公開
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 2m49s
撮影時期 : 1958年4月5日
主なロケ地 : 陸軍病院(後の海軍病院) (沖縄県北谷町)
スキャン方式 : Aerial Image
財沖米軍陸軍病院は、1976年に海軍病院となったため、そちらの名前で覚えている方も多いと思います。
当時の沖縄タイムスには「陸軍病院きょう落成式」、琉球新報には「祝 東洋一を誇る陸軍病院落成」と見出しがおどり、建設を行った国場組の広告とともに大きく扱われていました。
当時の沖縄タイムスによると
東洋一を誇る〜収容能力250ベッド 国場組施工
(略)〜沖縄の米軍はこれを東洋一の病院だ、と誇り、そして内外観のスマートさから米軍はこの病院を”彼女”というニックネームで呼ぶことになっている。沖縄エンジニア・ディストリクト(DE)や病院当局の監督により国場組の手で完成されたこの建物をざっと眺めると、もちろん鉄筋クンクリート造りで五階建、高さ六五尺、最後部が九二尺、総面積が六千七百八十六坪というから、面積だけでも千五百坪という行政府ビルの四・六倍もあるから、文字通り沖縄における最大の建物ということになる…沖縄タイムス 1958年4月5日朝刊より
と、米軍が東洋一の設備と言うだけのことは有る建物。会わせてそのデザインも洗練されていたことは、現在にも通じる物があります。
モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織であるドコモモでも、日本における日本におけるモダン・ムーブメントの建築の一つに掲げています。
映像は落成式の式典の場面ではありません。中には学生だけの姿もあり、一般の人々が自由に見学をしている雰囲気が漂っています。前述の沖縄タイムスには「一般の参加を歓迎」という小見出しもあり、軍当局から「一般住民も多数、施設の参観をしてもらいたい」とコメントが出ている。そのことも、この映像の撮影が1958年4月5日であると考える理由です。
実際に映像を見ていると、撮影者の美しい奥様の映像が中心ですが、それはそれで楽しんで見られるかと思います。また屋上の場面で画面を横切るセーラー服の女学生が、下駄履き出歩いているなど、’50年代の沖縄の庶民文化をかいま見ることも興味深いところです。
建物に関しては、チラリとですが中庭の様子であったり、外観が見られますので、ネットの写真などを見て、確認してみるのもおもしろいと思います。
また屋上からの眺めで言えば、基地内の住宅街らしき風景。政府道1号線(現 国道58号線)越しに東シナ海を眺望する瞬間など、よく知られた風景が発見できると思います。
(文:真喜屋力)
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