【FILMS】泉崎から上之屋(1号線沿線)

撮影時期は1950年代の後半。政府道1号線と呼ばれた現在の国道58号線沿いに北上していく映像です。泉崎から天久までの那覇市内の映像です。

N0. 0004-01
撮影者 : 遠藤保雄
主なロケ地 : 一号線 泉崎から上之屋 (沖縄県那覇市)
撮影時期 : 1957年
撮影メディア : 8mm Film
スキャン方式 : エリアルイメージ方式

 

泉崎橋の完成直前?

▲1号線と反対側より久米方向を見る

映像の冒頭は、1号線越しに泉崎橋が映し出されます。泉崎橋は戦前は石造りでしたが、戦後は少し場所を移動して作られました。映像を見る限りでは、1号線に接していない方が、まだ道路と接続していない未完成の状態のようです。完成したのは1958年8月なので、それ以前の映像である可能性もあります。

高圧送電線が邪魔

完成から一年後の1959年9月12日の沖縄タイムスの紙面に「完成はしたけれど〜高圧線が邪魔して通れない」という、ちょっと香ばしい記事が出ているのを発見いたしました。(笑

記事には「完成したものの、高圧線のために使用されていない泉崎橋」と言うキャプション付きの写真も掲載されておりましたので、興味のある方は探してみてください。

▲泉崎橋を1号線側から見た映像をパノラマ化

確かに8ミリ映像には橋の側に高圧送電線が建っていて、1号線沿いに伸びているのがわかります。実はこの映像を撮影した遠藤氏は、高圧送電線技師。高圧送電線の作り直しのための視察時に、プライベートのカメラで撮影を行なったそうです。なので、この映像は1号線沿いに北上する映像というよりは、当時存在した高圧送電線を辿るように、那覇市内を北上して行くものになっています。

久茂地交差点と沖縄タイムス新社屋

▲中央の建物が1957年落成の沖縄タイムス本社ビル
▲2018年の久茂地交差点と沖縄タイムス社社屋

カメラは少し北上して久茂地交差点の沖縄タイムス本社ビルを映し出します。県庁前から那覇商業高校に抜ける通りと、国道58号線が交差する十字路で、現在では大きなビルが建ち並び、全く違った風景(右写真)となっています。

映像の中の沖縄タイムス本社ビルは1957年7月1日にオープンしているので、映像もそれ以降のものと思われます。

映像には沖縄タイムスビルをかすめるように高圧送電線が走っているのがよくわかります。

国映館のドーム?

▲国映館らしき建物

NPO法人シネマラボ突貫小僧の當間早志からの指摘で、上記の写真のパンショットの中央に、国際通りにあった映画館、国映館らしき建物が写っていることがわかりました。

国映館は円形で天井がドーム状になった特徴的な形をしていること、撮影ポイントからの方向が一致することから、かなり可能性の高いでしょう。

現在ではビルが建ち並ぶ那覇市ですが、建築物が少ない頃の風景を見ると、町のサイズ感が少し変わってきます。

»那覇(国際通り)/国際通り 国映館付近(那覇市歴史博物館)

カルテックス

▲カルテックス

CALTEXはアメリカの石油会社。沖縄大百科事典によると

「カールテックスともいう。給油所のこと。カリフォルニア・テキサス石油会社の略称で1950年、米軍政下の沖縄の石油供給権を取得し、以後復帰まで独占していたため、給油所の代名詞となった。(沖縄大百科事典)

ちなみに、このカルテックスは1号線と潮渡川の交差する角で、復帰後も長らく若松給油所の名で営業をしていました。現在のリッチモンドホテル那覇久茂地が建っている位置です。

»リッチモンドホテル 那覇久茂地の位置

 

南陽相互銀行

▲左側が泊港、右が南陽相互銀行。正面の丘に上之屋の外人住宅が見える。

»南陽相互銀行のあった場所

南陽相互銀行の建物が映ります。南陽相互銀行は1971年に沖縄銀行に合併されてなくなり、この場所は沖縄銀行になります。ちなみにこの交差点は1973年11月26日に大陥没事故が起きた場所です。

正面に見える丘が上之屋の方向で、外人住宅が並んでいるのが見えます。左側には見えませんが泊港ターミナルビルがあります。

»1号線から見た上之屋の外人住宅

天久のアイススケート場

▲建築中のアイススケート場(左)と、現在の状況(右;2018年)

天久の丘の上にあったアイススケート場の建築中の姿と、その横の高圧鉄刀が映ります。この建物は現在もブライダル関係のお店になっています。1970年代にはまだアイススケート場でしたが、建築直後は別の業種であったという証言もあり、それについての情報も募集しています。

このビルの向こうは那覇市の新都心ですが、1950年代には米軍の住宅地としてフェンスに囲まれた状態でした。映像にもその様子は映っています。

上之屋の変電所

最後に映るのはスケート場からやや泊方向に戻る形で、上之屋の変電所が映し出されます。これは現在の尚学院よりやや坂の上あたりではないかと思われます。変電所の背後の丘に、やはり外人住宅が建っているのがわかります。またカメラの手前を馬車が通り過ぎていくのがわかります。現在の国道ではあまり馬車を見る機会はありませんでしたが、70年代ごろまでは、時々歩いていたのを思い出します。

(文:真喜屋力)

 

 

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