【FILMS】那覇市のパノラマ2〜久茂地、牧志

「那覇市のパノラマ1」に続き、久茂地、牧志地区からのパノラマです。

N0. 1619-02
撮影者 : 山里景吉 (Keikichi Yamazato)
タイトル:那覇市のパノラマ2〜久茂地、牧志

撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 2m18s
撮影時期 : 1971年ごろ
主なロケ地 : 那覇市街地 (沖縄県那覇市久茂地,牧志)
スキャン方式 : Frame by Frame
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主なロケ地表示(Google Map表示)
国場ビル展望レストラン沖縄山形屋屋上沖縄三越屋上

 

国場ビル展望レストランからの眺望

最初のカットは国場ビルの最上階にあった展望レストランからの眺めです。最初に高台の上に電波塔が写っています。手前にドーム屋根の国映館が映り込んでいるので、方向的には久場川の辺りの塔だと思います。この時に国映館のドーム屋根の背後には桜坂琉映(現 桜坂劇場)、桜坂オリオンと、三軒の映画館が同じカットに収まっています。

カメラが左へパンしていくと久茂地小学校、久茂地公民館(当時は少年会館)と懐かしい建物が眼前に姿を見せます。少年会館は1966年にオープンし、プラネタリームと天体望遠鏡が収められた二つの銀色のドームが印象的な建物でした。

» 沖縄少年会館とは | KUMOJI CIVIC FORUM

少年会館は復帰前の沖縄に作られた教育施設で、オープンしたのは1966年です。この年、現在の緑ケ丘公園内にあった「子供博物館」通称ペルー会館が閉じています。この建物はペルー移民の寄付によって戦後に作られた博物館で、入れ替わりのようになっているところをみると、おそらく少年会館の前身として活躍していたのでしょう。子供博物館は後に「PTA会館」と名前と用途が変わって使われていたようで、この映像にも同一カットないに少年会館とPTA会館が映り込んでいます。

» ペルー館 緑ヶ丘に あったって | 和家若造のカピローグ

▲少年会館(後の久茂地公民館)とPTA会館(元 子供博物館)

 

▲沖縄グラビア社が発行した復帰前の「那覇市全図」にPTA会館の場所が書かれている。

 

さらにこのカットは、左にパンして行くわけですが、久茂地川を越えて1号線(現在の国道58号線)、松山、若狭方面が写っています。中央の辺りにはボーリングのピンを模した看板があります。この建物は沖縄輪業(自転車販売店)が長らく営業をしていて、学生時代におせわになりました。ボーリング場はその後ろにある建物で、現在はナムラホールが入っているビルの報だと思います。

▲国場ビル展望レストランよりの映像。松山、若狭方面。中央付近にボウリングの看板が見える。

 

沖縄山形屋屋上からの眺望

さて、2カット目は沖縄山形屋の屋上から撮影した那覇市。国際通りの裏側で、現在の緑ケ丘公園付近の眺望です。緑ケ丘公園の周りは住宅とお墓が立ち並ぶ感じで、先ほど話題になったPTA会館もしっかり移っています。またその後のカットは、国際通りに建つ大湾洋服店の裏側が写るショットになります。この建物は現在も残っていて、Googleマップなどで確認してみる楽しいです。

▲沖縄山形屋屋上から見た現在の緑ケ丘公園付近。

 

▲大湾洋服店の裏側。右上の大通りは国際通り。このカットの最後に沖映本館が映る。

 

もうひとつ沖縄山形屋から見た風景は国際通り越しに希望ケ丘公園周辺を捉えたもの。ここにも沖縄三越から始まり、桜坂琉映、桜坂オリオンと映画館が映っています。桜坂琉映は手間に別の建物が引っかかっていますが、現在も残っているホールの大屋根がしっかり写っていますね。

 

▲沖縄山形屋から見た希望ケ丘公園と桜坂劇場、桜坂オリオン。

那覇市役所

次に映し出される噴水は那覇市役所。2012年12月に竣工した現在の庁舎の前身で、1965年に建てられました。

噴水の中央にある銅像は朝倉文夫の「生誕之像」です。現在は噴水は無くなりましたが、この像は市役所入口の左脇に現在も移設されて残っています。

 

沖縄三越屋上からの眺望

つづいて沖縄三越屋上からの風景が映し出されます。まずは西向けに沖映本館と沖映通りが映し出されます。このころまだダイナハ(現 ジュンク堂那覇店)は建てられていません。

 

▲右下が沖映本館、その左と上に沖映通りが見える。

その次に映し出されるの国際通り越しの眺望。衝撃的なのは希望ケ丘公園の手前に大きな工事現場が写っているところです。ここは現在の那覇市文化テンブス館のある位置で、撮影当時は国際ショッピングセンターが作られているところです。そしてこの工事の前は国際通りの名前の由来であるアーニーパイル国際劇場と、平和通りの名前の由来である平和館があった場所です。

NPO法人シネマラボ突貫小僧のサイト「沖縄映画興行伝説」によると、アーニーパイル国際劇場は1948年1月21日開館。1954年にはオリオン興業の直営館(経営者は高良一のまま)となり、1955年12月1日より琉映貿の運営となって国際琉映館と名前も変わっています。閉館したのは1950年5月8日。

平和館は1950年9月30日に同じく高良一の経営でスタートし、1954年11月28日に沖映の直営となっていて、閉館は1970年4月3日。那覇市内の映画館の多さと、その興亡の激しさが伝わってきます。

この後に建設された国際ショッピングセンターが1972年竣工であると言う資料があるので、このフィルムの撮影は1971年ごろのものだと思われます。

(文:真喜屋力)


 

 

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