松岡政保は1964年から1968年まで琉球政府の行政主席をつとめた人物。金武町出身で、戦前にアメリカの大学を卒業した経歴を持っています。映像は松岡がハワイ移民65周年を祝う式典に招待されたときのもので、家族の方から寄贈がありました。
N0. 1276-00,1277-00,1278-00,1279-00
提供者 : 松岡 啓(Kei Matsuoka)
タイトル:ハワイ移民65周年記念と松岡政保1〜4本編時間: 4m49s+4m42s+4m42s+4m45
主なロケ地 : ハワイ (アメリカ,ハワイ)
撮影時期 : 1965年5月23日
撮影メディア : 8mm Film
スキャン方式 : Frame by Frame
最初の沖縄からの移民がハワイにやって来たの1900年。その65周年を祝う式典がハワイで行われたさいに、当時の沖縄の行政主席だった松岡政保夫妻も招待されました。その旅に密着したこの8ミリフィルムは、松岡家のものですが、撮影者は同行取材をしていたオキナワグラフの記者の方だったそうです。ちなみにオキナワグラフの表紙は通常は女性が飾っていますが、この号の表紙は松岡政保と男性が登場するイレギュラーな表紙でした。ただし松岡政保単独ではなく、彼にレイをかける現地の沖縄系の女性もいっしょに映り込んでいるのは、オキナワグラフの意地だったのでしょうか。
メインになっているのは「四海兄弟」と掘られたモニュメントの除幕式だ。この場所はハワイの慈光園本願寺(Jikoen Hongwanji)。このモニュメントは沖縄から送られたものだそうですが、とても大きな岩で、アメリカの軍艦で運搬してきたと言う。これもまた復帰前の沖縄らしいエピソードもあります。
65周年を祝う風景と前後して、様々な観光地を巡るようすも記録されている。先日のハワイ上映では、当時の人々がどういう場所を観光地としてイメージしていたのかがよくわかると言っていたのが印象深い。また農地の視察で、巨大な大砲のような放水機のデモンストレーションも驚きです。
このフィルムをハワイの沖縄系の人々に見ていただいたときにひときわ盛り上ったのがパイナップル工場の映像でした。そこで働いていたと言う人が何人かいて、会場がざわつくと同時に、工場内のレーンを見て、どこがどんな作業をする場所と言うのを解説してもらったり、自分はあの辺で作業していたみたいな具体的な言葉が飛びかいました。パイン工場が人々の生活に深く繋がっていたことなどが、実感として伝わってきます。
(文:真喜屋力)
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