【FILMS】天妃小学校 第一回運動会

那覇市立天妃小学校は沖縄県那覇市にある小学校。1889年(明治22年)に沖縄県尋常高等小学校女子部として開校。2019年で創立130年を迎える歴史のある学校です。撮影者自身が地元でカメラ店を経営していたこともあり、フィルムの保存は良好で、たいへん鮮やかな色彩の映像が残されています。

N0. 0493-00
撮影者 : 長嶺榮進
本編時間: 15分54秒
主なロケ地 : 上山中学校グラウンド (沖縄県那覇市久米)
撮影時期 : 1966年10月23日
撮影メディア : 8mm Film

 

天妃小学校、第一回体育祭の謎

撮影された1966年。その時点で創立77年の学校でありながら、体育祭が第一回というのはどういうことでしょうか?
『沖縄県公立小学校変遷史〜資料編』によると、前述の通り天妃小学校の前身は沖縄県尋常高等小学校女子部で、その後もいくつかの変遷があります。まとめると、

  1. 1989〜1898年 那覇尋常高等小学校女子部
  2. 1989〜1916年 天妃尋常高等小学校
  3. 1917〜1940年 天妃尋常小学校
  4. 1941〜1942年 天妃国民学校
  5. 1943〜1965年 ———–
  6. 1966年〜現在  天妃小学校

戦時中に学校が閉鎖しており、戦後も学校の敷地が別の施設に使われるなどして、学校が無くなっていたいようです。そして復活したのが1966年。つまり「天妃小学校」と言う名前で復活した最初の年が、この8mmが撮影された最初の年だったと言うことのようです。

▲天妃小学校、創立、運動会、第一回の文字が読める。

会場は上山中学校

このフィルムを上映会で、まさにこの年の運動会に参加された卒業生の皆さんに見てもらう機会がありました。その時わかったのは、この運動会の会場が天妃小学校ではなく、上山中学校のグラウンドで行われていたと言う話を聞きました。上山中学校は天妃小学校に隣接する学校です、

天妃小学校の施設は、戦後は政府の施設として使われていて、1966年に復活したものの、その時点ではグラウンドがコンクリートで舗装されていたため、運動場として使用ができなかったそうです。おそらく駐車場か何かに使われていたのでしょう。

沖縄戦との関連

上山中学校のグラウンドが使用されたことで、当然ながら写り込む校舎も上山中学校のものになります。

下の写真に写っているのは戦前からある建築物で、戦時中の空襲などを受けながらも、ほぼそのままの形で生き残っていた。戦後1953年までは米国民政府の庁舎として使用されていたという、歴史のある建築物です。

▲歴史のある校舎が背後に映っている。

沖縄戦の写真として有名な、トンボと呼ばれた米軍の偵察機の写真の眼下にも、この校舎は写り込んでいます。この写真の左下が現在の西武門の交差点の辺りで、奥が奥武山公園の方向になります。

» 10・10空襲と那覇市街戦で焼失した那覇 | 那覇市歴史博物館

下記のサイト「沖縄戦場2」に戦時中の上山中学の写真や状況が記されているので参考までにリンクを貼っておきます。

» 上山中学校 | 沖縄戦場2 施設編

現在、この校舎はなくなっています。8ミリの映像でもコンクリートが腐食してきているのが何となくわかりますが、歴史的建築物だけにもったいない感じがしますね。

競技の内容

運動会だけあって様々な種目が披露されますが、珍しいのは球技が行われていたところです。学校によってもいろいろだと思いますが、だいたい競走や演舞、体操などがポピュラーだと思います。

▲ドッジボールのらしき球技の試合風景。

また綱曳きも行われています。その参加人数には驚かされます。

ちなみに1966年の天妃小学校の生徒数は616人。そこから徐々に増えて、6年後には1000人を超します。これがちょうど沖縄日本復帰の1972年でした。しかし現在は435人と、この映像当時より100人以上少なくなっています。

▲綱轢きの人数がものすごい。(クリックすると拡大)

鼓笛隊について

60〜70年代の小学校の映像には、時おり鼓笛隊が登場する。これも詳しい事情は判明していないが、現在は鼓笛隊を擁する小学校は減っていて、すでに懐かしい風景となりつつあるようだ。

▲鼓笛隊とバトンガールによる華やかなパレード。

他にも学校の周囲の民家や、家族だけでなく大勢の親戚が集まる昼食時間の映像など、意外に見せ場の多い映像である。

(文:真喜屋力)

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