1970年に行われたジュリ馬行列の記録です。ジュリ馬の舞台となる「二十日正月」の祭は、戦前に遊廓として栄えた辻の町の祭で、ジュリとは、そこで働いていた遊女たちのことです。一時期は那覇市の三大祭(ハーリー、綱挽き)の一つとも言われ、最盛期には一万人の観客が押し寄せたと言います。
No. 0104-02
タイトル:ジュリ馬 1970
提供者:玉寄英一(Eiichi Tamayose)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 2m49s
撮影時期 : 1970年3月8日
主なロケ地 : 辻、料亭松の下など (沖縄県那覇市辻)
スキャン方式 : Aerial Image
ジュリ馬を説明すると、辻という町の歴史を語らねばなりません。そのへんは他のサイトを参考にしていただき、本サイトでは映像を中心に語りたいと思います。
ジュリ馬は戦中と戦後の一時期中断していましたが、辻町の祭として復活しました。復帰前までは景気も良く、辻の発展とともに大きくなりました。一時は那覇三大祭の一つに数えられ、那覇市の支援も受けるまでになります。しかし公娼制度の正当化、女性蔑視の歴史の美化などの観点から反対活動も起こり、那覇市の支援がなくなり、あわせて復帰後の景気の悪さもあって1989年に再びパレードなどは行われなくなります。しかし、2000年に小規模ではありますが復活を果たし、現在まで続けられています。
映像に収められた1970年は復帰前の景気の良かった時代でもあり、盛大なパレードとなっているのがわかります。
料亭 松の下
冒頭に映し出される建物が「料亭松の下」。英語名を「Teehouse of August Moon」。ハリウッド映画『八月十五夜の茶屋』のモデルにもなった料亭で、名実ともに辻の中心であり、ジュリ馬の由来に深い関わりを持った料亭です。
道ジュネー
続いて豊饒の神であるミルクと獅子舞が練り歩く様子が映し出されます。その他にも辻町の旗頭、そしてジュリ馬のパレード。現在もおこなわれているジュリ馬は、「松の下」跡地の前に作られたステージで演舞を行うのですが、かつては様々な出し物が、辻の街中を練り歩く形でした。先頭近くにミルクや、獅子がおり、その後にジュリ馬や、様々な踊りのグループが歩き、移動しては踊り、踊っては移動しと、あちこちで音楽が鳴り止まないような、盛大なお祭りだったようです。ちなみに映像で主な撮影場所になっているのは、現在ステーキハウス88のある通りで、松乃下よりも一本ずれた通りになります。
行列の演目
1988年の「那覇旧廿日正月祭り」のパンフレットを見ると、パレードの演目は以下の通り。
「行列進行順序」
1)吹奏楽部(上山中学校)
2)役員関係者
3)旗頭
4)りんじ旗
5)みこし
6)獅子舞
7)みるく
8)みるくの供
9)路次楽
10)親方之前
11)国王車
12)うみないび車
13)馬舞(OL)
14)馬舞(OL)
15)舞踊り(辻老人クラブ)
16)太鼓ばやし(上山中学校)
17)湊くり節(婦人部)
18)谷茶前(婦人部)
19)いにしり節(婦人部)
20)舞踊(那覇市老人クラブ連合会)
21)日舞(四季の会)
22)空手舞踊(嘉手川重夫空手舞踊研究所)
23)舞踊(真喜志幸子流舞研究所)
24)国頭裁サバクイ(在沖保良ヨイシー保存会)
25)子供エイサー(久米二丁目子供会)「那覇旧廿日正月祭り」(パンフレットより引用)
これはジュリ馬がいったん途切れる前の開催の記録。くどいようですが、これはステージの式次第ではなく、パレードの並びの表です。
1960年代には料亭組合の馬舞に対抗して、バー組合は水着の美女を登場させたという記録もあります。
料亭ののぼり頭
見ていると、様々な料亭ののぼり旗を見ることができます。この当時は辻の町には松乃下を始め様々な料亭が軒を連ねていました。その料亭が互いの繁盛ぶりを見せつけるように競っていたのが感じられ、街全体の勢いが感じられます。映像から、料亭の”のぼり旗”を探してみるのもおもしろいと思います。
衣装の種類
ジュリ馬の衣装は、よく見ると二種類あることがわかります。一つは伝統的な紅型衣装。もう一つはサテンのようにテラテラと光る布地の衣装です。フィルム提供者の話によると、後者の方は料亭の踊り手ではなく、辻で働く飲み屋の女性や、地域で暮らす女性の皆さんが動員されたもののようです。証言してくれた女性は、学生のころにこの時期になると松乃下のアンマーに踊りを習いに行っていたそうです。「いったー、色気がないね」と無茶を言われた。と思い出を語ってくれました。
ジュリ馬の音楽
8ミリフィルムには音声はないので、2018年に収録した下の動画を観て雰囲気をつかんでいけたらと思います。跳ねるようなリズムと「ユイユイユイ」という掛け声がかわいらしい踊りです。
(文:真喜屋力)
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