解説:ジュリ馬1965(ロケ地編)

2020年にクラウドファウンディングによってデジタル化され甦った1965年の「辻町の二十日正月」の映像。その後の検証により、ほぼ全カットの撮影位置がわかっています。そこでそのおおまかな流れをご紹介いたします。

ぜひ漠然と見ているだけではなく、当時の地図、現在の地図を片手に眺めてタイムスリップ感を味わっていただけると幸いです。

1965年に発行された辻町の地図の一部を下に貼ってあります。クリックすると拡大してみることができます。できれば印刷などして、読み進んでいただけると効果的です。

▲1965年発行の辻町地図[部分]:那覇市歴史博物館所蔵(クリックで拡大)

最初に

大雑把なルートを説明すると、真ん中近くの黄色の部分がジュリ馬のメイン会場である料亭松乃下。映像を見る限りでは、1965年のジュリ馬は書き込まれた赤い線のコースで練り歩きが行われたと考えられます。撮影もほぼ順撮りで行われているようで、映像の順番でほぼコースを順序良く回る感じです。

ということで、この地図とともに、映像を解析していきたいと思います。

 

A)町の入口 ホテルとうよう前 [0分25秒]

▲ホテルとうようと掲げられた横断幕。[図1]
映像の冒頭、タイトルカットのように「祝 二十日正月まつり」と書かれた横断幕が映し出されます。この場所は「ホテルとうよう」の脇道になります。波上宮から西武門の交叉点までの「波上通り」が表参道であり、街の入口とすれば、町に入って最初に目にする場所に、この横断幕が掲げられていたということなのでしょう。

B)メインステージ 料亭松乃下 [0分28秒]

▲スタート地点。料亭松乃下より通りを見下ろす。[図2]
パンショットで始まるこのカットは、丘状になった料亭松乃下の中腹辺りから撮影されています。料亭松乃下は戦後の辻町復興の要とも言える店。丘の上には祭にとって重要な拝所があります。観客は御嶽と並びながら、いっしょにここからスタートする道ジュネー(練り歩き)を見物するという、風情のあるスタートとなります。

 

C)辻の公設市場 [0分46秒〜1分1秒]

▲奥に見えるのが、公設市場のある市営住宅アパート。オリンピア理容館が特徴的。[図3]
勇壮な辻町の旗頭の映像から、ミルクが練り歩く場所は、地図上では料亭松乃下から左に進んだ辺りになります。不思議なことに上記の地図ではこの交差点がないことになっています。うっすらと「市営住宅」と書かれているのですが、これが下の画像の中央奥に見える「那覇市辻公設市場」と書かれた集合住宅で、1階が公設市場、二階より上階が市営住宅となっています。

那覇市で公設市場というと牧志のそれが有名ですが、このころは辻以外にも松山(現 津波避難ビル)など、市営住宅とセットで公設市場があちこちにありました。

丸くなった壁が特徴的な、画像左側の「オリンピア理容館」も地図上には書かれていません。このビ建築は2019年までありましたが、現在は建て直しているため、面影は無くなってしまいました。

▲図3と同じ場所。左の建物の湾曲したフォルムが元オリンピア理容館。奥に見える高層建築は現在の市営住宅。[図4]

» googleマップ(オリンピア理容館跡地)

ここで一旦、カメラが松乃下の前にもどり、人力車などの出発風景を撮影しています。

 

D)佐久本三線店前の交差点 [1分55秒〜2分41秒]

▲右は現在の「佐久本三線店」の建物。看板は塗りつぶされている。[図5]
行列が前進すると、少しゆったりとした交差点で獅子舞が披露されます。ここは五差路になっていて、通常の交差点より広くなっています。

ここでしばらく様々な演舞が行われています。行列はただ移動しているだけではなく、このように立ち止まって演舞をおこなう場所が決まっていたようです。

気になるのは背後に見える「佐久本三線店」の看板。この建築は現在(2020年現在)も健在でしたが、営業はしていないようで、看板も塗りつぶされていました。

» googleマップ(佐久本三線店)

 

E)場所不明の建築物 [2分33秒]

▲2分33秒辺りに登場するアパート(左)と、細部が異なるが、よく似たアパート(右)[図6]

この辺で、アパートの屋上から行列を観ている人々が映ります[図6]。このアパートがどこかわからなかったのですが、映像がほぼ順撮りになっていることから、この佐久本三線店の近くで撮影したのではないかと思い探してみたところ、ほぼ三線店の向いに、よく似たアパートが2020年現在も建っていました。こまかい造作(花ブロックの数など)が違っているので断言はできませんが、同じ建物が改装されて残っているのか?あるいはよく似た建築が複数あったのか?どちらかではないかと思います。

気になる方は現地で探してみてください。

 

F)平敷建築設計事務所 前 [2分42秒〜2分46秒]

2分43秒のところで「平敷建築設計事務所」と言う看板が写ります。地図上にはありませんでした。しかし、右奥に佐久本三線店が見えます。

つまり松乃下からスタートした行列は、佐久本三線店前で第一コーナーを左に折れて、次のコーナーへ向かっていることがわかりました。

▲背後に三線店が見える。[図7]

G)レストラン 辻 前 [2分47秒〜]

2分47秒のパンショットは、第三コーナーに当る場所になります。わかりやすいのは英語の看板「NEW KEYSTONE」で、これは上の地図にも載っています。

NEW KEYSTONEの奥に見える「レストラン辻」というのが、上の地図でいう「ヨジ ハウス」でしょうか。だとすればさらにその後ろに見える大きな瓦屋根の建物は「料亭 小川」なのでしょうか?

▲2分47秒からのパンショットのカット尻の映像。NEW KEYSTONEが見える。[図8]

映像はこの当たりから、いろいろな店の看板が映り込んできます。地図とは変わってしまったのもありますが、ほぼ順取りなので、映像を追いながら、いろいろ看板を発見してみることをお勧めします。

H)ステーツサイズとジョージレストラン [3分10秒〜]

3分10秒あたりのカットで、有名なステーキハウスが映っています。一つは「ステーツサイズ」、もう一つは「ジョージレストラン」。前者はすでに営業はしていませんが建物は健在。後者は現在でも営業していますが、建物は新しくなっています。。

» googleマップ(ステーツサイズとジョージレストラン

▲ステーツサイズは今も建物のみ残っています。[図9]
その後、行列はステーツサイズの横を通りすぎていく様子がじっくり映されていますので、看板などを見ながら追いかけてみてください。

I)なは会館(現 料亭那覇) [4分1秒〜]

▲2020年の料亭那覇の裏口の階段(左)と、フィルムに映った1965年の階段(右図の白丸内)[図10]
行列はさらに進んで料亭那覇(当時は「なは会館」)の方向へ向かいます。チラリと映っている石段のような階段が、現在の料亭那覇の裏口付近。よく見ると,石段は現在も残っていて、同一の場所だと言うのがわかります。映像を見ると立派な作りで、ひょっとしたら当時は正面玄関だったかも知れません。

J)若松売店前交差点と徳川家康 [4分14秒〜4分18秒]

▲左が第3コーナーの交叉点。右端の鎧い武者を拡大したものが右。[図11]
やがて映像は「なは会館」から「ホテルとうよう」の横を抜けて、波上大通りに出ます。これが第3コーナーになります。こちらの十字路でも輪になって演舞が行われています。正面に見える「サッポロビール」の看板は、地図でいうと「若松売店」と思われます。この角を左に曲がると、波上宮につづく参道となります。ちなみに奥に続く路地に行くと、現在は沖縄そばで有名な亀亀そばがあります。

ここで踊られているのは宮古島のクイチャーで、当時宮古からの移住者が多かったことなどがわかります。

注目すべきポイントは踊りの輪のすぐ外に、日本式の甲冑を身にまとい、背中に「徳川家康」と書かれたのぼり旗を付けた侍がいるというところ。画像をいろいろ加工分析すると「総天然色」などと書かれていて、映画の宣伝であることがわかります。この映画は1965年封切りと言うことで、年代の特定に役立ちました。

 

K)波之上写真館 [4分24秒〜4分33秒]

▲波上写真館前。下は他の8ミリに映った同じ場所。神社との位置関係がよくわかる。[図12]
波上通りの途中に今も営業を続けている「波之上写真館」の1965年の姿が映ります。図12では1970年ごろのカラー映像と比較してみました。左奥に波上宮の鳥居が映っていることで、位置関係がわかりやすいと思います。こうして行列は神社の方向へと進みます。

 

L)護国寺とソニー坊や [4分34秒〜4分36秒]

▲護国寺前で撮影されたショット。左にソニー坊やと護国寺の門。[図13]
続いて数名の外国人女性がカメラを行列に向けている姿が映ります。この日はジュリ馬のパレードとは別に、すぐ近くの那覇軍港ではミサイル巡洋艦が一般公開されるなど、何かと那覇市内は盛り上っていたようです。

外人女性の後ろには旭ヶ丘が見えます。見えている頂上付近には、後に展望台が作られることになります。

また画面右側には、なんとソニー坊やの後ろ姿が見えます。その奥にある門柱のようなものは、波上の護国寺の入口になります。

ソニー坊やは通常コンクリート製で、交通安全祈願で道路沿いに設置されています。しかし、波上宮付近には常設されていないはずです。そう思ってソニー坊やをよく観察すると、どうもトラックの上に乗っている様に見えます。イベントなどの広告用に、巡回タイプのソニー坊やもいたのかも知れません。

ちなみに護国寺の門ですが、こちらは1960年代はブロックを積んだような形でしたが、70年代に鐘楼付きの立派なものになっていました。図14の比較写真で見ていただけるとよくわかります。1970年代には丘の上には展望台が造られています。こちらは現在も残っていますが、屋根部分が取り壊しになっています。

▲1960年代の護国寺の門(左)と、1970年代の護国寺の門、丘の上に展望台が見える。[図14]

M)護国寺前から参道からふり返る [4分37秒〜4分56秒]

▲護国寺付近から。道の奥に「ホテルとうよう」が見える。[図15]
同じ位置でカメラを後方に向けたのが下の画面。波之上写真館が左に見えます。よく見ると道の奥に「ホテルとうよう」が見えます。かなり大きな建物ですね。

ここが第4コーナー。再び辻の町の中へと行列は入って行きます。

 

N)「みねや食堂」より路地へ[4分57秒〜5分52秒]

▲路地の入口に「みねや食堂」の看板が見える。[図16]
「みねや食堂」は護国寺の向かいにある食堂。そこの路地から入った所に、クランク状になった路地があります。撮影がしやすかったのか、しばしこの場所での撮影が続きます。

※なにゆえか「1965年の辻町地図」では、このクランクが省略されています。

 

O)裏から見た料亭松乃下 [5分53秒〜6分2秒]

▲キャバレー女王蜂のトラックの向こうに料亭松乃下が見える。[図17]
やがてキャバレー女王蜂のにぎやかなトラックが通り過ぎると、それに合わせてカメラもパン。丘の上にそびえる料亭松乃下が迫力タップリに映し出されます。

松乃下をこのアングルで見ることはあまりないので、なかなか貴重なショットかも知れません。

 

P)料亭松乃下の側面の崖[6分7秒〜7分2秒]

▲左側の崖は料亭松乃下の丘。[図18]
さらに行列は料亭松乃下の側面に到達。狭い路地でも踊りが続きます。同じ路地を、切り立った崖の上から撮影した俯瞰ショットなど、プロカメラマンらしき工夫したアングルが続きます。

 

Q)パレードの終了から仮設舞台へ[7分3秒〜ラスト]

▲料亭松乃下の正面付近より撮影。仮設舞台が見える。[図19]
こうして行列は料亭松乃下の前にもどってきます。そこですんなり終わらずに、宴は延々と続きます。図19には松乃下のそばに作られた仮設舞台も映り込んでいます。

この仮設舞台の位置は、地図上では料亭松乃下の右側の十字路。「ゴールデンスター」と言う店の隣の空き地になります。

道ジュネーが終わっても、ここで「のど自慢大会」などのイベントも行われたようです。

このステージ単体の画像は那覇市歴史博物館のサイトで見ることができます。

» 祭り/旧二十日祭(辻町自治会)| 那覇市歴史博物館

 

こうしてパレードは終わっても、宴は続く予感を残し映像は唐突に終わります。

もし現地に足を運ぶ機会があれば、この映像をスマホなどで確認しながら、歩いてみてください。

(文:真喜屋力)

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