
2020年にクラウドファウンディングによってデジタル化され甦った1965年の「辻町の二十日正月」の映像。その後の検証により、ほぼ全カットの撮影位置がわかっています。そこでそのおおまかな流れをご紹介いたします。
ぜひ漠然と見ているだけではなく、当時の地図、現在の地図を片手に眺めてタイムスリップ感を味わっていただけると幸いです。
1965年に発行された辻町の地図の一部を下に貼ってあります。クリックすると拡大してみることができます。できれば印刷などして、読み進んでいただけると効果的です。

最初に
大雑把なルートを説明すると、真ん中近くの黄色の部分がジュリ馬のメイン会場である料亭松乃下。映像を見る限りでは、1965年のジュリ馬は書き込まれた赤い線のコースで練り歩きが行われたと考えられます。撮影もほぼ順撮りで行われているようで、映像の順番でほぼコースを順序良く回る感じです。
ということで、この地図とともに、映像を解析していきたいと思います。
A)町の入口 ホテルとうよう前 [0分25秒]
B)メインステージ 料亭松乃下 [0分28秒]
C)辻の公設市場 [0分46秒〜1分1秒]
那覇市で公設市場というと牧志のそれが有名ですが、このころは辻以外にも松山(現 津波避難ビル)など、市営住宅とセットで公設市場があちこちにありました。
丸くなった壁が特徴的な、画像左側の「オリンピア理容館」も地図上には書かれていません。このビ建築は2019年までありましたが、現在は建て直しているため、面影は無くなってしまいました。

ここで一旦、カメラが松乃下の前にもどり、人力車などの出発風景を撮影しています。
D)佐久本三線店前の交差点 [1分55秒〜2分41秒]
ここでしばらく様々な演舞が行われています。行列はただ移動しているだけではなく、このように立ち止まって演舞をおこなう場所が決まっていたようです。
気になるのは背後に見える「佐久本三線店」の看板。この建築は現在(2020年現在)も健在でしたが、営業はしていないようで、看板も塗りつぶされていました。
E)場所不明の建築物 [2分33秒]

この辺で、アパートの屋上から行列を観ている人々が映ります[図6]。このアパートがどこかわからなかったのですが、映像がほぼ順撮りになっていることから、この佐久本三線店の近くで撮影したのではないかと思い探してみたところ、ほぼ三線店の向いに、よく似たアパートが2020年現在も建っていました。こまかい造作(花ブロックの数など)が違っているので断言はできませんが、同じ建物が改装されて残っているのか?あるいはよく似た建築が複数あったのか?どちらかではないかと思います。
気になる方は現地で探してみてください。
F)平敷建築設計事務所 前 [2分42秒〜2分46秒]
2分43秒のところで「平敷建築設計事務所」と言う看板が写ります。地図上にはありませんでした。しかし、右奥に佐久本三線店が見えます。
つまり松乃下からスタートした行列は、佐久本三線店前で第一コーナーを左に折れて、次のコーナーへ向かっていることがわかりました。

G)レストラン 辻 前 [2分47秒〜]
2分47秒のパンショットは、第三コーナーに当る場所になります。わかりやすいのは英語の看板「NEW KEYSTONE」で、これは上の地図にも載っています。
NEW KEYSTONEの奥に見える「レストラン辻」というのが、上の地図でいう「ヨジ ハウス」でしょうか。だとすればさらにその後ろに見える大きな瓦屋根の建物は「料亭 小川」なのでしょうか?

映像はこの当たりから、いろいろな店の看板が映り込んできます。地図とは変わってしまったのもありますが、ほぼ順取りなので、映像を追いながら、いろいろ看板を発見してみることをお勧めします。
H)ステーツサイズとジョージレストラン [3分10秒〜]
3分10秒あたりのカットで、有名なステーキハウスが映っています。一つは「ステーツサイズ」、もう一つは「ジョージレストラン」。前者はすでに営業はしていませんが建物は健在。後者は現在でも営業していますが、建物は新しくなっています。。
I)なは会館(現 料亭那覇) [4分1秒〜]
J)若松売店前交差点と徳川家康 [4分14秒〜4分18秒]
ここで踊られているのは宮古島のクイチャーで、当時宮古からの移住者が多かったことなどがわかります。
注目すべきポイントは踊りの輪のすぐ外に、日本式の甲冑を身にまとい、背中に「徳川家康」と書かれたのぼり旗を付けた侍がいるというところ。画像をいろいろ加工分析すると「総天然色」などと書かれていて、映画の宣伝であることがわかります。この映画は1965年封切りと言うことで、年代の特定に役立ちました。
K)波之上写真館 [4分24秒〜4分33秒]
L)護国寺とソニー坊や [4分34秒〜4分36秒]
外人女性の後ろには旭ヶ丘が見えます。見えている頂上付近には、後に展望台が作られることになります。
また画面右側には、なんとソニー坊やの後ろ姿が見えます。その奥にある門柱のようなものは、波上の護国寺の入口になります。
ソニー坊やは通常コンクリート製で、交通安全祈願で道路沿いに設置されています。しかし、波上宮付近には常設されていないはずです。そう思ってソニー坊やをよく観察すると、どうもトラックの上に乗っている様に見えます。イベントなどの広告用に、巡回タイプのソニー坊やもいたのかも知れません。
ちなみに護国寺の門ですが、こちらは1960年代はブロックを積んだような形でしたが、70年代に鐘楼付きの立派なものになっていました。図14の比較写真で見ていただけるとよくわかります。1970年代には丘の上には展望台が造られています。こちらは現在も残っていますが、屋根部分が取り壊しになっています。

M)護国寺前から参道からふり返る [4分37秒〜4分56秒]
ここが第4コーナー。再び辻の町の中へと行列は入って行きます。
N)「みねや食堂」より路地へ[4分57秒〜5分52秒]
※なにゆえか「1965年の辻町地図」では、このクランクが省略されています。
O)裏から見た料亭松乃下 [5分53秒〜6分2秒]
松乃下をこのアングルで見ることはあまりないので、なかなか貴重なショットかも知れません。
P)料亭松乃下の側面の崖[6分7秒〜7分2秒]
Q)パレードの終了から仮設舞台へ[7分3秒〜ラスト]
この仮設舞台の位置は、地図上では料亭松乃下の右側の十字路。「ゴールデンスター」と言う店の隣の空き地になります。
道ジュネーが終わっても、ここで「のど自慢大会」などのイベントも行われたようです。
このステージ単体の画像は那覇市歴史博物館のサイトで見ることができます。
こうしてパレードは終わっても、宴は続く予感を残し映像は唐突に終わります。
もし現地に足を運ぶ機会があれば、この映像をスマホなどで確認しながら、歩いてみてください。
(文:真喜屋力)
Very well done and very important…. blackie san Okinawa Project. thank you, wbm bradford.