写真1:沖縄相互銀行(8ミリのパン映像をつなげたもの)

沖縄相互銀行の映った8ミリフィルムが届いた。沖縄相互銀行と言えば現在の海邦銀行。本店は国道58号線の久茂地交差点だが、この映像からするとちょっと場所の雰囲気が違う。繁華街なので、国際通りから一銀通りに入る角かと思ったが、位置関係がおかしくなる。

海邦銀行の公式サイトの沿革のページ(https://www.kaiho-bank.co.jp/corporate/corporate/history/)をのぞいてみたら、同じ建物の写真が掲載されていた。キャプションを観ると「1959年元旦記念写真 旧沖縄相互銀行本店」と書かれている。掲示されている看板が同じ物なので、8ミリの撮影時期もそれくらいではないかと思われる。場合によっては同じ日の可能性もあるよ。

ここでいろいろ歴史を調べてみた。ロケ地探訪をしていると、今までまったく気にならなかった、会社や地域の歴史を調査することが多々ある。それがけっこう楽しいのである。

というわけで、調べたことを簡単に書くと、沖縄相互銀行は、沖繩相互銀行と第一相互銀行が1964年に合併してできた会社。沿革にある写真は合併前である。公式サイトのキャプションにある「旧沖繩相互銀行本店」とは、「旧本社」ではなく、「旧沖繩相互銀行の本社」というニュアンスだったのかと、かってに納得する。ささいなことだが、自分で気がつくと嬉しい物だ。

ちなみに合併前の第一相互銀行は一銀通りの名前の由来でもあって、本店のあった一銀通りの国際通り側には、今も海邦銀行松尾支店として残っている。

一方、合併前の沖繩相互銀行本店はどこにあったのか。那覇市歴史博物館にも同じ建物の写真があり(http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/item3/42122)、これは「国際通り・美栄橋支店とあるが、公式サイトに「本店」とあるし、美栄橋からは遠いので、誤認ではないかと思われる。でも国際通りというのはあっていそうだ。
(※コメント欄に美栄橋区美栄橋町という昔の区割りがあって、この辺りも美栄橋町だったという指摘がありました。ありがとうございます。確認してまたレポートしたいと思います)

さらに調べると「1951年ごろの琉球政府前」(https://www.zukeran.org/shin/d/2017/05/13/ryukyu-gov-1951/)というブログ記事を見つけた。こちらに沖繩相互銀行の前身である沖縄無盡の場所が記された地図が載っている。その現在地が下のマップ。

写真2:沖縄相互銀行の対面の風景(8ミリのパン映像をつなげたもの

そして写真2は銀行の対面を写した映像を繋いだ物。左側に「紙のデパート」と書かれた建物があるが、そこは首里城を模したお土産屋『お菓子御殿」が現在建っているが、昔は文具雑貨そして紙類を販売していた「ざまみ」があった場所。前述のブログ記事と重なる。そう言えば、写真2の右側の建物は某宮古そば有名店の入っているビルに基本構造が似ている。

僕らの収集している8ミリの中で、国際通りの雰囲気がわかる映像は、意外に少ない。これだけカラーが残った状態で、しかも1950年代後期の動画は掘り出し物であった。

(文:真喜屋力)