主に琉球大学付属病院の鉄骨を組んでいる風景。撮影ポイントは那覇市民会館の前です。最後に姿を見せる那覇市民会館にも工事の足場が組まれているところを見ると、こちらも工事中のようです。市民会館の前は資材置き場。
No. 0712-00
タイトル:工事現場:琉球大学附属病院、那覇市民会館
撮影者:大城隆盛(Ryusei Oshiro)撮影メディア : 8mm Film/Color
本編時間: 1m25s
撮影時期 : 1970年ごろ
主なロケ地 : 那覇市民会館 (沖縄県那覇市与儀)
スキャン方式 : Frame by Frame
那覇市民会館にかかった足場や、目の前に大量の資材が置かれているところを見ると、那覇市民会館の開館前の時代であることが推測されます。那覇市民会館の開館は1970年ですから、それ以前の映像でしょう。しかし、その割に那覇市民会館がすすけて見えるのは気のせいでしょうか。少々調査が必要かも知れません。
日本復帰前に1970年6月に新那覇病院が琉大付属病院となりますが、
復帰とともに琉球大学保健学部付属病院となります。その後、保健学部が医学部保健学科に改組されたことに伴い、琉球大学医学部病院となる。(琉球大学医学部附属病院 | ウィキペディア)
ちなみに琉球大学の医学部が設置されたのは、下記リンク先の資料によると1979年10月1日。首里キャンパスを離れたころです。
病院の建物は、昨日アップした「那覇の風景、パンショットなど」の最初のパンショットの最後に、那覇市民会館のすぐ右側にも映っています。そちらもやはり建築中のような色合いですが、鉄骨だけの頃よりは少し後の映像かと思われます。ぜひ見比べて見てください。
あとネット上の資料として「写真で見る50年のあゆみ」という琉大のPDF資料があります。なにかの書籍の一部だと思いますが、その123ページに1973年ごろの完成した琉大付属病院の航空写真が掲載されていました。
(文:真喜屋力)
Leave a Reply