【FILMS】渡嘉敷島 観光

1960年代の慶良間諸島の渡嘉敷島観光の映像。

No. 1825-04
タイトル:渡嘉敷島 観光
撮影者:遠藤保雄(Yasuo Endo)

撮影メディア : 8mm Film/Color/16fps
本編時間: 4m36s
撮影時期 : 1960年代
主なロケ地 : 渡嘉敷島 (沖縄県)
スキャン: Frame by Frame

1960年ごろに慶良間諸島の渡嘉敷島に行く映像です。現在はフェリーが就航していますが、この時代はかなり小さいめな船のようです。気になったので、そこで渡嘉敷村の村史を紐解いてみました。

戦後は渡嘉敷村と沖縄本島を結ぶ航路は、軍払い下げの上陸用舟艇LCM(Landing craft mechanized)。興味深いのは、戦後間もないころは那覇港は軍港で、泊港周辺は埋立てや、浚渫など整備が遅れていたので、渡嘉敷-糸満の航路が生まれていました。当時の糸満には渡嘉敷村の連絡所や倉庫などがあったようです。

1948年9月には嘉島丸(25t、旅客定員20名)が就航。
1952年2月から福嘉丸に引き継がれる。

1954年に泊港の開港式。以後、渡嘉敷-那覇航路が誕生。同時に渡嘉敷観光が盛んになる。

1956年 久吉丸が就航。旅客定員が62名まで増える。
1962年 久嘉丸が就航する。旅客数は多いが木造船。
1966年 久嘉丸を村が買い取り、村営となる。名称を「ひさよし丸」に改名。
1968年 けらま丸就航。
1973年  第一けらま丸就航。

という流れがあり、フェリーに引き継がれていきます。

本フィルムの船は木造船ではないので、おそらく1956年就航の久吉丸ではないかと思われます。

村章の謎

煙突に描かれた村章がチラチラ見えますが、これは現在の渡嘉敷村の村章とデザインが違います。この手のエンブレムは、行政区の名称をカタカナを使ってデザインすることが一般的ですが、このエンブレムの下の方が渡嘉敷の”キ”を図案化したように見えます。

村章が変更されたのか。それとも船が村営になるのは1966年からなので、それまでは村章ではないエンブレムが使われていたのかと、謎が膨らみます。ひょっとしたこの映像も1966年の村営化以後の映像の可能性もありますが、船の資料などがあれば確定したいところです。

▲船の煙突に村章らしき物が見える。

船は渡嘉敷港について全員上陸。以後、島内観光をして回ります。

▲港を降りて上陸した先客の皆さん。

下の画像は高台より見降ろした渡嘉志久ビーチの風景。おそらく現在もある、慶良間帰郷展望所あたりから観た風景ではないだろうか。

» 慶良間海峡展望所 | Google ストリートビュー

▲慶良間海峡展望所付近から見た渡嘉志久ビーチ方向の景観。

他にもキャンプ場で一休みして、ビーチの散策などもおこなっています。

全編とおして画質がきれいですが、途中で画質がモヤッとします。しかし後半再びきれいな画面になります。

▲特徴的な岩がある阿波連ビーチ。

白玉之塔

やがて渡嘉敷校を見下ろす高台にある「白玉之塔」が登場します。渡嘉敷村の公式サイトに現在の写真があります。沖縄戦で集団自決を含む悲劇で亡くなった魂を弔い平和を祈念するために、1951年に建立されたものです。、渡嘉敷村の公式サイトにある写真を観る限り、現在もそのままの姿で(少し古くなっていますが)残っているようです。

» 白玉の塔 | 渡嘉敷村

 

▲白玉之塔。

渡嘉敷港と定期船

白玉之塔からカメラを右にふると、眼科に渡嘉敷港が登場します。現在は埋立ても進み、大きく変容しています。地図などと比較してみるとおもしろいと思います。

そして気になるのは突き出した桟橋に係留された定期船らしき船の全身。いつか資料が見つかったときの検証材料として役立ってくれそうです。

(文:真喜屋力)

▲渡嘉敷港の全景。

 

▲停泊中の定期船らしき船の拡大。

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